【落合陽一の新作が圧倒的】「量子」と「宇宙」の異色展で味わう、“世界の見え方”が揺らぐ感覚

ライフ

  • ブックマーク

人工物と自然物

 この作品には見る側との境界線を作っていないのでどこまでも近づいて見ることができる。ぐるりと歩いているうちに存在感を増して近づいてくるのは、天井から伸びている長い手と足だ。素材が純粋な木でできているという、この古来の物質がこの場では異様に新鮮に感じる。こうなると、もはや人工物と自然物のどちらが希少な存在なのか、どちらに私たちは憧れていくのか境界線が曖昧になってゆく。何か自分が解けて一体化してゆくようなこの感覚が、確かな存在と触れた証として私たちの中に残ってゆく。この作品に込められたメッセージはあれども、やはりそれも固定化されたものと捉えなくとも良い。

 落合陽一が提唱している「デジタルネイチャー(計算機自然)」という概念がある。これを頭で理解できなくても作品の中に入ることで感覚として共有できる、というのが落合陽一作品の醍醐味なのだけれども、とはいえども、作品の核になっている「デジタルネイチャー」の概念をちょっと理解しておくと、日常の捉え方もちょっと変わってきて面白い。

コントロールできないもの

 例えば地球上の自然現象の一つとして「雲」がある。雲は地球上で生まれるけれども、地球は雲の動きをコントロールできない。太陽や風や自転や海の流れやいろんなものが影響しあってその形、大きさ、場所がつどつど決まってくる。

「川」も同じで、山に含まれた水が湧き出て川になるけれども、生みの親の山はその川の流れをコントロールできない。降り注ぐ雨、共に流れる土砂、岩陰に住み着く魚たち、これらが絡み合って川の流れが常に新しく生まれ続けている。

「コンピュータ」も同じで、人間が作り出したにも関わらず、「道具」というポジションを超えて、もはや環境の一部として振る舞い始めている。つまり人間一人ひとりの好奇心やふるまいを認識し、学習し、知識を蓄積し、リコメンドし、人間と深く影響し合っている。雲や川が私たちの自然環境として周りにあり影響し合うのと同じように、コンピュータもまた私たちにとって新しい自然環境となって存在している。

 落合陽一は量子そのものを研究しているわけではないけれど、その概念や作品の在り方が量子の在り方ととても似ているのだ。

 さて、展覧会を見終わって、興味が湧いたものの「量子とは?」「宇宙とは?」の理解をしたわけではない。なので私は時間があれば量子力学や宇宙の始まり、ニュートリノ、カミオカンデなどについてずっとおしゃべりをしている。AIと。

土居彩子(どい・さいこ)
1971年富山県生まれ。多摩美術大学芸術学科卒業。棟方志功記念館「愛染苑」管理人、南砺市立福光美術館学芸員を経て、現在フリーのアートディレクター。

デイリー新潮編集部

前へ 1 2 次へ

[2/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。