「コスパ・タイパ」を追い求めるほど幸せから遠ざかる――シリコンバレーのトップ科学者が気づいた「効率化の罠」
どうすれば、仕事や日常生活の「コスパ」と「タイパ」を改善できるのか。AIやアルゴリズムを使って「最適化」を図れば、効率が劇的にアップするはず――そんな風に思っている人も多いのではないでしょうか。
実際、名門大学MIT(マサチューセッツ工科大学)で博士号を取得した最先端データサイエンティストのココ・クルム氏も、そのように考えてシリコンバレーの「最適化」ビジネスの最前線に身を投じました。
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しかし、クルム氏はいつしかシリコンバレーの「最適化」の思想に幻滅し、「どうやってあの場所を滅ぼしてやろうか」とまで思うようになったといいます。
なぜクルム氏は「最適化」を否定するのでしょうか? 「最適化」の最前線では何が起きているのでしょうか? クルム氏の著書『最適化幻想 効率が人を幸せにしない理由』を翻訳した松本剛史さんの「訳者あとがき」から抜粋、編集して紹介します。
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「最適化」のトップランナーが味わった幻滅
「最適化(optimization)」とは、簡単にいうと「目的に応じた最善の答えを求める」ことだ。これを産業の文脈に当てはめれば、可能なかぎり少ないリソースで最大の成果を得ること、つまり「効率化」とほぼ同じ意味になる。この効率化は20世紀以降、資本主義を推進する強力な原動力として、本書にも描かれているとおり、アメリカという国を、ひいては世界全体を覆いつくすまでに広まった。
最適化はまた、数理的には「特定の条件下で目的関数を最大化、または最小化する」という意味をもつ。コンピューター革命でこうした数学的手法が実用可能になり、情報処理の自動化と効率化が爆発的に進展した。
クルム氏はもともと、こうした分野の最先端に身を置いて活躍していた人物である。その経歴はじつに華々しい。MITで応用数学と統計物理学の博士号を取得後、最適化の最前線シリコンバレーでデータサイエンティストとして働き、自ら科学コンサルティングの会社を立ち上げ、カリフォルニア大バークレー校、ミシガン大、ジョンズ・ホプキンス大などで講師も務めてきた。
ところが彼女はいつしか、自分の故郷ともいうべきシリコンバレーにすっかり幻滅してしまった。それは文字どおりの意味でだ。最適化は幻想だと感じ、「どうやってあの場所を滅ぼしてやろうか」とまで思うようになった。いったいなぜ? 何が問題なのか?
「効率化」が招いた3つの喪失
クルム氏は自らその謎を解こうと“旅”に出る。そしてロードノベルさながらのアメリカ横断ドライブから浮かび上がってきたのは、アメリカの各所で最適化の限界が露呈している現実と、その波にさらされる人たち、またそうした現状からなんとか脱却しようとする人たちの姿だった。
最適化とはトレードオフであり、効率や収益と引き換えに失われるものは非常に大きい。本書の表現によれば、それはシステムの強靱性、人間と生きる場所とのつながり、自律性の喪失である。
さらにクルム氏は数理モデリングの専門家の立場から、アイザック・ニュートンに端を発し、スタン・ウラム、クロード・シャノンといった20世紀の数学者へ受け継がれてきた数学的アルゴリズムを紹介しつつ、最適化の起源と発展の道のりをひもといてみせる。
だがこういったアルゴリズムを基にした現代のあらゆるシステムは、効率化が進むほどに脆弱性が強まり、破綻のリスクも高まっていく。間欠的に繰り返されるロサンゼルス近郊の山林火災や、テキサス州の大停電(2021年)などはその帰結の一部なのだ。
その一方で、アメリカには文化的な面でも、最適化につながる根深い伝統が存在していたという。英国のジョン・スチュアート・ミルの功利主義が海を渡って新たな発展を遂げ、自由放任経済、自然や環境を支配しようとするフロンティア精神に結びついていったのだが、その根底にはプロテスタント的な個人主義と謹厳な道徳性もあった。
ハラリや斎藤幸平も「最適化」を批判し始めた
数年前から大人気を博している「こんまり」こと近藤麻理恵の「片づけ」も、そうした伝統のきわめて現代的な現れとして紹介される。彼女のメソッドは、ベンジャミン・フランクリンの唱えた「節約」の美徳の流れをくむものといえるが、資本主義の要請に従って手に入れてきたあふれんばかりのモノに翻弄される人々にとっての福音ともなっているのだ。
格差拡大などの社会問題に直面する現代のアメリカでは、最適化や効率化に対する厳しい見方が次第に増えている。エフゲニー・モロゾフは著書の『すべてを救うには、ここをクリックして――技術的解決主義の愚かさ』(未邦訳)で、シリコンバレーを支配するソリューショニズムを真っ向から切り捨ててみせた。
ユヴァル・ノア・ハラリも『ホモ・デウス――テクノロジーとサピエンスの未来』のなかで、データ至上主義や過剰な最適化を強く批判している。日本でも斎藤幸平が、近年ベストセラーとなった『人新世の「資本論」』で、資本主義の論理としての効率化が自然や人間を損なってきたと述べた。
「効率性の言語」を捨てることができるか
ただ、そこからどのように脱却するかとなると、簡単な道のりではない。まさに最適化の“本場”であり、テクノ・ユートピア思想の根強いアメリカでは、そのソリューションを最適化の延長線上で、つまりさらに最適化を推し進めることで見つけようとする傾向が強い。OpenAI の創業者サム・アルトマンなども、たしかに善意の人ではあるけれど、その発想からまったく抜け出してはいないとクルム氏は述べる。
だからといって最適化を全面的に否定してしまえば、その道筋から完全に降りる、たとえば自給自足の生活に戻るといった選択しか残らなくなる。そうした二者択一から逃れるには、「効率性の言語」を捨てることだ、というのがクルム氏の考えだ。しかしそこには具体的に決まったやり方、公式はない。それこそ「最適な形で脱最適化する」という皮肉な方向へ進むことになりかねないだろう。
「コスパ」「タイパ」から遠く離れて
クルム氏自身は現在、シリコンバレーを離れてアメリカ北西岸の離島に移住し、壊れかけの小屋を修繕して暮らしながらも、かつての仕事上のつながりを完全には捨てず、大規模なコンサルティングのプロジェクトに加わったりしている。
日本の読者にとっても、「最適化や効率化からどのように脱却するか」という問いは他人事ではないだろう。この国には「無用の用」といった言葉や、「自然は支配するのでなく共生する存在」という見方が根づいているだけに、クルム氏の考えはある程度受け入れられやすいかもしれない。
しかし、最適化や資本主義の論理に追い立てられることにいくらうんざりしていても、今までの暮らし方を完全に捨てることは、大多数の人たちにとって現実的ではないだろう。クルム氏の示唆に従うなら、まずはすべてを「コスパ」「タイパ」といった効率性の物差しで判断するのをやめる、ということになるかもしれない。
そこから、資本主義社会の要請どおりの目標を目指さない、「半身で生きる」「ミニマルに暮らす」といった、自分自身と向き合った末での選択も出てくるだろうし、それがやがて斎藤幸平が『人新世の「資本論」』で問いかけたような「資本主義のシステムを変えようとする」ことにまでつながっていくのかもしれない。
「コスパ」「タイパ」という効率性の物差しをいったん手放したとき、私たちの前に何が見えてくるのか――その問いは、今まさに切実に問われている。
※本記事は、ココ・クルム著、松本剛史訳『最適化幻想 効率が人を幸せにしない理由』(新潮社)の一部を再編集したものです。










