“ほぼ寝たきり”から再起 「恨ミシュラン」神足裕司さんの変わらなかった持ち味と新境地

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 物故者を取り上げてその生涯を振り返るコラム「墓碑銘」は、開始から半世紀となる週刊新潮の超長期連載。今回は3月8日に亡くなった神足裕司さんを取り上げる。

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「恨ミシュラン」が話題に

 短く、発見があり、笑わせる――。コラムはこうでなければ、と神足裕司さんは自分の文章を戒めていた。

 そんな神足さんらしさがよく表れている作品が、1992年から94年にかけて「週刊朝日」に連載された「恨ミシュラン」だ。漫画家の西原理恵子さんと一緒に有名な高級レストランで飲食。漫画と文章でそれぞれの率直な感想を表現した。

 西原さんが振り返る。

「評判の店だろうが、値段が高かろうが、まずいものはまずい、ここが気にいらない、と正直に書かせてもらいました。神足さんをコータリンと呼んでいましたが、最初はおしゃれなふりをして格好をつけていた。連載が始まった時、美女と食べに行くから別行動にしよう、と言っていたのに、そんな相手はいなかった。とにかくお酒好き。体が丈夫なので、酔いが回っても眠くならずに飲み食いできて、麻雀だって平気でした」

 連載は単行本化され、ベストセラーになった。

「コータリンの家族とも親しくさせてもらいました。『恨ミシュラン』が話題になった時期、2人目のお子さんの文子さんが生まれるのですが、お金が入ったからとジャガーを買った。親子4人になるのに、なぜ2人乗りの車?と奥さんの明子さんは泣いてしまった。文章はインテリなのに田舎の不良の面が残っていました。破滅型でも家族を守るとの強い気持ちが心の根っこにある。ベロベロに酔っても家に帰って、お子さんの弁当を作っていた」(西原さん)

クスッと笑える文章

 57年、広島市生まれ。地元の私立修道中学に進み高校では水球部の有力選手に。

 中学以来の友人で編集者・写真家の柳谷杞(き)一郎さんは思い返す。

「高校、予備校、大学も一緒でした。水球で全国レベルの一方、書くのも好きな珍しい人だった。考えを強く主張するのでない、クスッと笑える文章の持ち味は当時から変わらないですね」

 予備校時代からの友人で広島県府中町の町議会議員、田中伸武さんは言う。

「予備校でミニコミ誌を月に1回ほど出した。神足さんはショートショートのような作品を書き、一歩引いた目で物事を見ていました」

 慶應義塾大学法学部政治学科に進み水球部に入る。

「ケガを機に在学中からスポーツ新聞や雑誌でライターを始めた」(柳谷さん)

 後に妻となる明子さんは編集者。出入りした出版社で一目ぼれした。82年に卒業、84年、イラストレーターの渡辺和博さんとの共著『金魂巻』が反響を呼ぶ。人気職業の分類に用いた「マル金(金持ち)」「マルビ(貧乏)」は流行語に。

「皮肉は効いてもバカにしたりけなしたりしない。毒舌もない。取材し分析するのも得意です」(田中さん)

 蝶ネクタイに黒縁眼鏡姿はテレビでも親しまれた。

「『金魂巻』も『恨ミシュラン』も共著で、絵の方が断然人気なんだな、自分は“挿文家”というところだと笑っていた」(柳谷さん)

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