「ルッキズムはダメ」「年の差婚は気持ち悪い」 窮屈になった社会に古市憲寿が思うこと
WBCを特集したテレビ番組でのこと。「世界のイケメン選手たち」が紹介され、司会者が40代の女性タレントに話を振った。どの選手が格好いいかというたわいもない話題なのだが、ふと思ってしまった。「今ってこういうの、いいんだっけ」と。
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選手たちは主に20代。公の場で年下の異性の容貌を批評することは問題ないのか。ルッキズムとは批判されないのか。仮に40代男性が、20代の女性スポーツ選手の見た目をあれこれ言っていたらどう思われるか。その女性タレントは聡明な人で、司会者や番組の進行を否定することなく、「尊い」という言葉を用いて、容姿を正面から議論することを回避していた。
窮屈な社会になったと思う。個人的には、見た目への批評を含めて、あらゆる議論が許容されるべきだと考える。女性が自らの好みや、時には性的な欲望について語ることも、本来は全くもってタブーではないはずだ。性を特別扱いするべきではない。
僕がこう感じるのは、2000年代にフェミニズムの教育を受けた人間だからかもしれない。ざっくりと言えば、1990年代から2000年代のフェミニズム議論では、「性の解放」を重視する潮流があった。女性が奔放に性を語ることは自律の象徴であると見なされた。そもそも「男性」「女性」や「同性愛」などを本質的に語ることを避ける傾向もあった。
だが時代は変わる。「性の解放」は異性愛者の男性に都合よく使われるだけであり、「自由」よりも「安全」や「尊厳」が重視されるべき、という意見が強まった。「かわいい」「奇麗」という褒め言葉さえも、「ルッキズムを助長する加害になり得る」として批判されるようになった。
また、年齢差に関しても厳しい視線が向けられることが増えた。例えば50代や60代の男性と、20代女性の恋愛は許されるのか。法律的には全く問題がないはずだが、社会的地位や経済力に差のある年上と年下では対等な関係を築くことが難しい。権力の格差が生じやすいと批判されるのだ。だが同世代でも格差は存在するし、権力差と搾取は別問題のはずだ。
端的に年齢差のある恋愛を「気持ち悪い」と感じる人もいるだろう。だが「気持ち悪い」といった主観を重視してしまうと、例えばLGBTQの権利もないがしろにされてしまう。「気持ち悪い」とか「普通ではない」という理由で、「LGBTQを尊重する必要はない」と判断されかねないからだ。
何よりも重視されるべきは個人の幸福だと思う。本人同士が同意していれば、年の差カップルがいてもいいし、同性同士が恋愛してもいいし、見た目についても自由に語ればいい。個人をないがしろにして、正しい社会の形を追求する思想というのは、恐ろしいと思う。ところで冒頭に「WBC」という言葉を出しただけで、ほとんど野球の話が出てこなかった。スポーツに興味のない僕は全く見ていません。



