「そら豆って」っていいかけたまま さよならしたの――東直子の短歌が持つ「空白」の魅力

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 演劇から出発した東直子は、さまざまな領域に越境しつつ、もっとも歴史の長い短歌を帰るべき港のような場所として大切にしている。

 身近な世界から発見する「空白」によって、幅広い読者の参加を誘う東直子の短歌。宮中歌会始選者の三枝昻之さんの新刊『百年の短歌』から、一部を再編集してその魅力を紹介しよう。

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そうですかきれいでしたかわたくしは小鳥を売ってくらしています――東直子

 東直子の歌にはどこか空白があって悩ましいが、惹かれる。平成8年の第一歌集『春原さんのリコーダ』を読みながらその特徴を考えてみよう。

 「そら豆って」いいかけたままそのまんまさよならしたの さよならしたの

 なぜ言いかけたまま去ったのか、さよならしたのは〈私〉か〈誰〉か。謎の多い歌だ。東が短歌を作る契機となった俵万智を並べるとそのことがよく分かる。

 「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日――俵万智

 恋人に手作りサラダを振る舞ってヤッターと感激。場面も〈私〉の反応もよく伝わってきて過不足のない短歌だ。「そら豆って」の歌はたとえれば、大切な部分が欠けた不思議なジグソーパズル。

 そこからは最後のピースは読者が入れて楽しむ、そんな世界が見えてくる。

 そんなこと気にしなくてもいいですよ星もいつかは壊れますから

 これも戸惑う。「そんなこと」はどんなことか。身近な茶碗などを壊してしまったのではと思うが、壊れる星とは釣り合わない。壊してしまった相手が戸惑いそうな、不均衡で歪な慰め。

 巻頭歌はなにがきれいだったのか。読者はあれこれ手探りを強いられる。大曲の花火、残雪の岩手山を背景にした小岩井農場の一本桜。いやいや、小鳥と向き合う孤独の気配からは誰かの晴れ姿など賑やかな人事が相応しいか、などなど。

 実はこの歌の上二句、松田聖子が結婚したときに元カレの郷ひろみが洩らした言葉。それを活用した、と東さん本人が教えてくれた。するとこの下の句、広い曠野に独り佇む郷ひろみの心象とも読めるが、補助データなしに向き合うのも大切。見えてくるのは華やぎの外にいる黙々たる暮らし。それも悪くないのでは。

 東直子の多彩な仕事の一つに『魚を抱いて 私の中の映画とドラマ』があり、そこで映画の解説に一首添えている。

 手の中の野の花束が枯れるまでわたしは声を待つつもりです

『日の名残り』に添えられた歌。かつての女中頭の老執事への秘めた想いが滲む歌と読むとぴったり、ではないか。

 東直子の歌は何かの物語の反歌に近いエキス表現、と感じる。読者の参加を促すその不完全な表現の吸引力。それは絵本や童話作家、エッセイストなどマルチな表現者東直子ならではの、定型表現へのぎりぎりの信頼とも見える。

※この記事は、三枝昻之『百年の短歌』(新潮選書)の一部を再編集して作成したものです。

三枝昻之(さいぐさ・たかゆき)
1944年生まれ。歌人・評論家。早稲田大学政治経済学部卒。歌誌「りとむ」発行人。日本歌人クラブ顧問。山梨県立文学館館長。宮中歌会始選者。現代歌人協会賞、現代短歌大賞などを受賞、旭日小綬章受章。歌集に『暦学』『農鳥』『遅速あり』、歌書に『昭和短歌の精神史』『前川佐美雄』『佐佐木信綱と短歌の百年』など著書多数。

デイリー新潮編集部

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