もしや僕の子ではないのでは… 51歳夫の疑念の始まりは、娘の「ある部位」への違和感だった

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【前後編の前編/後編を読む】妻を子宮がんで失って3年 「不倫じゃないのに…」51歳夫が再婚を考えた相手を娘たちが“拒否”するワケ

 パートナーと離別もしくは死別したあと、生き残った人が自分の人生を生き抜くために再度、パートナーを求めることは珍しくない。ただ、大人になっているとはいえ、子どもたちの反対を押し切るほどの勇気は出ない。婚姻届を出さずに同居すればいいという話ではない。

 妻との間に大きな確執があり、それを乗り越えられないままに妻を見送った男性がいる。百川康太さん(51歳・仮名=以下同)は、「再婚を考えているんですが、思った以上に娘たちの反対、拒否感が強くて」と困惑している。その相手との過程を知った娘たちからは「パパ最低」という言葉もぶつけられた。

「確かに妻が生きている間に、心の中で他の女性を思ったのは認めます。でも、実はそれ以前に妻には大きな秘密があった。僕はそれをなかったこととして生きてきたけど、本当なら妻をなじりたかったし責めたかった。妻のことは本当に好きだったし、今でも嫌いにはなれません」

泣く泣く仕事を辞めた妻

 康太さんが妻の美千惠さんと結婚したのは27歳になる直前だった。就職して4年、結婚はまだ早いと周りには言われたが、「学生時代からつきあっていたから、すでにお互いをよくわかっていた」ため、早く結婚して早く子どもをつくり、老後は余力があるうちにふたりで楽しく暮らそうとふたりで話し合っていた。

 28歳で長女、31歳のときに次女が生まれた。妻は次女が生まれた段階で退職、その後は家庭を大事にしながらパートで働いて生計を助けてくれた。

「たぶん、美千惠は本当なら共働きでいきたかったんだと思います。ただ、僕らはふたりとも地方出身で手伝ってくれる親戚もいなかった。住んでいる地域はまだ保育園も充実していませんでしたから、どうにもならなかったんですよね。妻も内心は泣く泣く決断したんだと思う。『美千惠にだけ大きな決断をさせてすまない』と言いました。彼女は『そう言ってくれるだけで救われるわ』と笑顔を見せた。昨日のことのように思い出せます」

 康太さん自身もできるだけのことはしたつもりだ。残業をせず、仕事を持ち帰ったこともよくある。週末の接待ゴルフもやめて家庭にいようとしたが、「こうなったらあなたの出世だけが頼りかも。私の分まで働いてのし上がって」と妻に冗談まじりに言われて、そういう考え方もあるのかと感心したという。

「妻は決まり切ったことを嫌う人間でした。常識的な生き方はつまらない、私は組織からはずれてしまったけど、いつか自分のやりたいことを見つけて生涯かけてがんばるから、あなたは組織でがんばってと言われていました。だから妻の望むようにがんばりましたよ。上司におべっか使って、もちろん仕事も必死にがんばって、さらに宴会部長をやってのし上がりました」

 康太さんは笑いながらそう言った。会社組織の中では、まじめに仕事をこなすだけでは「のし上がる」ことはできないのだろう。誰かに引き上げてもらうチャンスと、その誰かが誰なのか政治的な計算も必要となるのかもしれない。

「35歳のときに営業部長代理になりました。決して大企業とはいえない組織だけど、そこそこ知られた会社、しかも同期の中では最も早い出世でした。ただ、僕は心の底から仕事を楽しいと思っていたわけではありません。組織の中での自分は完全に役として演じていたような気がします。だからこそ、家庭に帰るとホッとしたし、子どもたちの笑顔と美千惠との会話だけが僕を支えてくれていたと思っていました」

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