東京ドームはガラガラ、4割弱しか開催を知らない有り様…「WBC」第1回大会のあまりに残念だった開幕時を振り返る

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 とある披露宴会場で、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の生中継が流されたことがあった。

 2006年3月21日、元TBSアナウンサー・進藤晶子とプロゴルファー・深堀圭一郎の結婚式においてである。この日、記念すべき第1回のWBC決勝戦(現地時間は20日)、日本vsキューバがおこなわれていたのだ。披露宴は14時半に終了予定だったが、その後、大型モニターをテレビに接続し、日本テレビが放映する試合を列席者は観戦。14時58分に世界一が決まると、「万歳」三唱となった。

 それから20年後の今年3月、第6回WBCが開幕。日本は“歴代最強チーム”とも呼ばれ、大いに盛り上がっている。その嚆矢が第1回での栄冠=世界一にあることは言うまでもない。だが、実はこの第1回大会、少なくともその出だしは、さっぱり盛り上がっていなかった……。20周年となる記念イヤーに、その劇的な軌跡を秘話とともに振り返りたい(文中敬称略。役職名は当時)。

最初はガラガラだった。お見送りもゼロ

「向こうは、飛車角、抜きやな」

 2006年2月28日、第1回WBC開幕を3日後に控えた際、楽天・野村克也監督の放った言葉である。オープン戦で戦うソフトバンクの主力選手である松中信彦や川崎宗則が日本代表に選出、試合に不在であったことを示す表現だったが、続けてこうボヤいた。

「おまけに、王(将)までいないわ(苦笑)」

 王貞治は当時、ソフトバンクの現役監督であった。それを理由に、一時は日本代表の監督を固辞したものの、最終的にはオーナーの孫正義の一声で受諾した。このように第1回WBCは、人材の招聘から難を極めた。前年の05年12月中には全容を決めようとしたが、松井秀喜、井口資仁が不参加を表明(それぞれ12月26日、06年1月7日)。イチローは早々と参加を表明したが、大会で活躍することになる福留孝介も、最初は断っている。

 理由は、最初の大会だったこともあり、その理念や詳細がはっきりと選手に伝わっていないことにあった。大会を主催するアメリカ主導ながら、運営が手探りである部分もあり、井口は辞退を表明した1月7日、「具体的なスケジュールなど、詳細な話が来なかった」と明かしている。代表ユニフォームも2年前のアテネ五輪で使われた公式モデルが使えず。利益をアメリカに吸い上げられることを恐れた日本側の協賛企業が降りてしまったのだ。

 開幕の3月3日、電通リサーチが発表した約1500人を対象にしたアンケート調査によれば、WBCの開催を「知っている」とした人は、全体の39.9%。なんとも微妙な数字だった。

 翌3日、日本の初陣となった中国戦が東京ドームでおこなわれたが、関心の低さを示すかのように、発表された観客数は1万5869人。前回大会の2023年、日本の開幕戦の観客動員が同じ東京ドームで4万1616人(3月9日)だから、かなりの差である。

 3月6日、チームは次のリーグ戦に向けて渡米。王監督の胸には、日の丸を模したバッジが輝いていた。白地はダイヤモンド、赤い部分はルビーでつくられたバッジは、2004年のアテネ五輪で日本代表を率いた長嶋茂雄監督が付ける予定だったもので(※病に倒れ不参加に)、長嶋自身が同じモデルで改めて新調させ、王監督に託したものだった。しかし、空港にファンのお見送りは「0人」だった。

 因みに代表に「侍ジャパン」の愛称がついたのは2008年の11月から。なので、この時期、チームは“王ジャパン”と呼ばれていた。チームスローガンは、「日本でよく言う“スモール・ベースボール”だと、向こうに弱小な印象を与えてしまう」と、王監督自らが考えた「ストロング&スピーディー(野球)」だったが、記憶には薄いだろう。

 対して、アメリカ代表のチーム編成は2月にようやく決まるという鷹揚さだった。主催国という優位点もあるにせよ、日本側の準備万端かつ生真面目ぶりが浮き彫りになる印象もあった。ところが、そんなアメリカ側のおざなりさが、逆に日本において注目を呼ぶこととなる。

 日本vsアメリカの公式戦において、誤審が発生したのだ。

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