【豊臣兄弟!】美濃を攻略した信長が「岐阜城」で実現 宣教師もぶったまげた“目も上げられない”絶対性

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稲葉山城に移って岐阜城と改名する

 斎藤龍興(濱田龍臣)が治める美濃(岐阜県南部)の攻略を、いよいよ本格化させた織田信長(小栗旬)は、木下藤吉郎(池松壮亮)と小一郎(仲野太賀)に命じ、長良川沿いの多くの河川が入り乱れる要地、墨俣に城を築かせた。斎藤側に攻め込まれる前に急いで城を完成させるため、あらかじめ組み上げた木材を上流から流すなどして、世にいう「一夜城」を出現させた。NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』の第8回「墨俣(すのまた)一夜城」(3月1日放送)。

 とはいえ、斎藤側は猛攻撃を仕掛けてきた。そこで藤吉郎は、一帯の川筋を仕切る川並衆の棟梁、蜂須賀正勝(高橋努)らとともに城から脱出し、城に火矢を放った。墨俣城は斎藤側の軍勢もろとも焼け落ちた。衝撃的だが鮮やかな場面だった。

 そして第9回「竹中半兵衛という男」(3月8日放送)では、信長の軍勢はいよいよ斎藤氏の本拠、稲葉山城(岐阜県岐阜市)を取り囲む。城下町には火が放たれて、龍興の家臣は次々と離反し、稲葉山城はついに信長の手に落ちる。

 ところで、「墨俣一夜城」も「稲葉山城」も城は城だが、両者には敵を攻撃し、敵からの攻撃に耐える場所だという意外に共通点はない。それくらい違う。墨俣一夜城は、地面に空堀を掘り、掘り起こした土で土塁を築き、木の柵をめぐらせた程度の、小さな臨時の砦だった。一方、稲葉山城は一国を治める大名の居城で、政務と軍事の中心だった。高層で白亜の天守が建つ、広い堀と高い石垣に囲まれた城は、この時代はまだ出現していないが、要所が石垣で固められ、堀と土塁が複雑に配備され、堅固な櫓や豪壮な御殿などが建ち並んでいたと思われる。

 信長は稲葉山城陥落後の永禄10年(1567)9月、自身の居城を小牧山城(愛知県小牧市)から稲葉山城に移し、井の口だった都市名を岐阜に改め、城の名も岐阜城に変えた。だが、そこは信長である。城の名だけでなく、城そのものを信長流に造り替えた。

 この岐阜城からは、信長がなにを考え、望み、なにを目指していたのかが見えてくる。

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