「日本にいるときよりも幸せ」と吐露した先人も…「小室眞子さん」渡米5年、“女性皇族”がバッシングを浴びる背景
2021年に結婚した秋篠宮家の長女・小室眞子さん(34)。同年10月の婚姻届提出から半月余りで夫の小室圭さん(34)とともに渡米。その後、一度も帰国することなく、米国での生活も5年目となった。昨年、第一子を出産して親子3人でニューヨーク州に隣接するコネティカット州で暮らしている。帰国しないのは、海外生活を謳歌しているからか。それとも2018年2月に結婚式延期が決定して以降、ソーシャルメディア(SNS)やマスメディア(マスコミ)によって激しいバッシングや批判の声にさらされたことから、今も“逃避行”を続けていると見るべきか……。皇室を出て海外で暮らした「先人」の例から、その真相を探ってみる。
【写真を見る】まさかの「カメラ目線」で… 小室眞子さんが見せた“意外な表情”
元皇族2人の先例
島津貴子さん(86)は、昭和天皇と香淳皇后の末っ子となる5女として生まれ、兄である上皇陛下のご学友で旧薩摩藩主島津家の血筋にある島津久永氏と1960年に結婚。同氏が勤務していた政府系金融機関の日本輸出入銀行(現・国際協力銀行)での転勤に伴い、結婚後は米ワシントンと豪シドニーで合わせて6年間生活した。
結婚前には「清宮さま」と呼ばれていた貴子さんは、そのファッションや言動が“日本のプリンセス”として女性週刊誌などで盛んに取り上げられた皇族の“走り”と言われる。成年(成人)を迎えた59年の記者会見で「どのような男性が理想ですか」との質問に「私の選んだ人を見てくださって」と語り、当時の流行語となった。
皇族らしからぬ自由なこの発言が、戦後初めて民間から皇室入りし“ミッチーブーム”の最中(さなか)にあった上皇后美智子さまのご婚礼を1カ月先に控えた時期だったこともあって、若い女性たちの注目を美智子さまと二分した。発言直後に婚約が発覚したことも手伝い、この年はお2人のライフスタイルがテレビや女性誌をにぎわすこととなった。
その後も貴子さんは高い人気の半面、批判されることも少なくなく、「離婚のウワサ」との見出しの記事では「前からそういう可能性はあった」などと書き立てられ、他にも「もう少しおしとやかにして」「宮内庁長官の頭痛」といった記事があふれた。このため海外での生活は、常に衆人環視の中にあった日本とは別世界だったようで、マスコミ取材や記者会見で「日本にいるときよりも幸せ」「ひっそりと暮らせた」と本音を吐露している。
一方、東久邇宮稔彦王の4男で、明治天皇の孫に当たる多羅間俊彦氏は戦後、他の旧皇族とともに皇室を離れて民間人となり、慶応大学卒業後の1951年にブラジルに移住し、同地に在住していた多羅間鉄輔氏の未亡人の養子となった。鉄輔氏はブラジルで外交官をした経験があり、退官後、彼の地で自ら農業を経営した人物である。
俊彦氏はサンパウロ郊外のリンスのコーヒー園を経営した後、サンパウロに移ってブラジル日本文化福祉協会の理事会で副会長を務めるなど、日系ブラジル人社会で活躍した。後に沖縄出身の移民の娘と結婚。男児を授かった後の70年にブラジルに帰化している。2015年、サンパウロの自宅で死去した(享年86)。
昭和天皇が生涯、戦禍の影響を引きずり、多くの旧皇族が戦争についての取材に沈黙を余儀なくされた中、遠い異国の地で暮らした俊彦氏は日本のマスコミとはほとんど無縁のまま、86年の生涯を閉じている。島津貴子さんが「ひっそりと暮らせた」と外国生活を総括した言葉は、皇族の宿命ともいえそうな、出自への羨望の眼(まなこ)と、注目度が高いからこその厳しい視線の、双方から物理的に距離を置いたことによる安堵感だったことは間違いない。
失声症と適応障害
貴子さんと注目を二分した美智子さまは、皇后となられて5年目の1993年の誕生日、東京・元赤坂の赤坂御所(現・仙洞御所)で倒れられた。原因は心労とされ、失声症を発症されていた。当時、侍従の一人は「(皇后さまに)精神的なご負担をかけてしまった。申し訳なく思っている」と述べ、雑誌上で目立っていた皇室批判記事の影響を示唆した。
特にこの年の7月に発行された「宝島30」8月号の「皇室の危機」と題する記事は「宮内庁職員・大内糺(ただす)」という仮名の筆者が書いたもので、美智子さまの私生活が「快楽主義的」と訴える内容となっており、この記事を契機に他の雑誌でも皇室批判が相次ぎ、宝島社本社と文藝春秋社長宅に対して、反皇室報道に抗議するとして右翼から銃弾が撃ち込まれる事態も起きた。
皇后雅子さまも皇太子妃時代、激しいバッシングにさらされたことはよく知られる。雅子さまがお世継ぎに恵まれなかったことで、宮内庁サイドとの軋轢が生まれ、適応障害を発症されたことで公務に姿を見せることができなくなると、一斉に批判の声が巻き起こったのだ。このときの主役はインターネットのコミュニティサイト。当時、一世を風靡した匿名掲示板「2ちゃんねる」などには、「帯状疱疹」や「適応障害」といった雅子さまの病名や、雅子さまを擁護された天皇陛下(当時は皇太子)の「人格否定発言」、公務を急遽欠席されるケースが続いたことによる「ドタキャン」といったキーワードでスレッドが多数作成され、バッシングの書き込みがあふれた。Webサイトを始めて日の浅かった女性週刊誌などの記事も引用され、バッシングは長期化した。
[1/2ページ]


