「母は聖なるものだから」産後の妻は手も握らせない…45歳夫の情欲が向かった先は 今では「冷えた夫婦仲でいい」と割り切るまでに

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グチばかりの妻

 息子が小学校に入ったころ、義父が脳梗塞で倒れた。幸い、重篤ではなかったが、リハビリ病院に転院しても麻痺が残った。義母は夫の介護が主となり、梨惠さんは以前のように両親の援助が受けられなくなった。

「それどころか、ときには義母から『夕飯作りに来て』と言われることもあったようで、文句ばかり言っていましたね。それが自立のチャンスだったんですが、梨惠は手伝おうとはしなかったようです」

 ため息ばかりつく梨惠さんを励まし、彼は作り置きの惣菜を準備したり、週末には息子と一緒に餃子を作ったりした。梨惠さんも渋々、一緒にやっていたが、「私、料理って向いてないのよね」と後ろ向きな発言ばかりする。息子が楽しそうだからいいじゃないかと言ってみたが、梨惠さんにはあまり効果はなかったようだ。

「我ながらがんばったと思いますよ、あの時期は。それもこれも息子のためですけど。息子を見ていると、僕は自分が子どもの頃にしてもらいたかったこと、親にかけてもらいたかった言葉が浮かんでくるんです。だから息子には少しでも楽しい思いをしてもらいたかった」

それでも妻に同情をおぼえて

 梨惠さんの言動はほとんど変わらなかった。義両親も落ち着いた生活を送るようになったが、義父は要介護となり、義実家にはヘルパーさんたちが出入りすることになった。梨惠さんは「こんなはずじゃなかった。両親とうちとで旅行したりしたかったのに」と泣いたこともある。

「梨惠にはそういう思いがあったんだなとわかって、少し同情しました。人はそれぞれの親子関係で、何を理想とするのかが異なってくるんでしょうね。僕は何の理想ももてなかったけど、親にべったりだった梨惠は、年に何度か我が子と両親との旅行をするつもりだった。息子が小さいころはごく稀に一泊旅行をするくらいだったので、小学校に上がったらもっと長い旅行や海外を考えていたようです」

義父が亡くなった先の妻の発言に「ぞわぞわと怖かった」

 理想と現実はなかなか一致しないものだ。同情はしたものの、梨惠さんに共感はできなかった。長い間、ただひたすら息子のためにがんばってきた寛太さんの気持ちがふっと途切れたのは、2年前、義父が亡くなったときだ。

「梨惠は当然、悲しんではいましたが、ふと『これでおかあさんを取り戻せる』と言ったんですよ。なんだかわからないけど、ぞわぞわと怖かった。義母も義母で、『これからはまたあなたとの時間が増えそう』とうれしそうに梨惠に言っていたんですよね」

 見て見ぬふりはしてきたが、そのべったりした親子関係に寛太さんはうんざりした思いになった。心の持って行き場がなく、たまには自分の母親の顔でも見るかと実家に戻ると、そこにはなんと父がいた。いつしかふたりはヨリが戻りつつあったらしい。喜ばしいような裏切られたような複雑な思いが去来した。

「自分以外の人間が何を考えているのかなんて、まったくわからないものなんだと痛感しました」

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