「意地悪」か「当然の問い」か 太田光の“責任論”が大炎上 高市首相と「噛み合わない」ワケ

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会話の前提が一致せず

 実際に放送されたやり取りを見ていて感じたのは、失礼かどうかというよりも「噛み合っていないな」ということだった。太田は公約と責任という制度的な話をしていたのに対し、高市首相は選挙直後の政治的メッセージとして「これから実現に向けて努力する」という姿勢を示していた。

 一方は仮定の話としての責任論を提示し、もう一方は現在進行形の政治的意思を語っていたため、会話の前提が一致していなかったのである。高市首相が一瞬驚いたような表情を見せたのも、この前提のズレがあったからだろう。

 さらに言えば、このすれ違いは個人の資質というよりも、テレビの生放送という場の構造に由来する部分が大きい。選挙特番の中継は数分にも満たない短いやり取りであり、その限られた時間の中で政策の実現可能性や責任論を丁寧に議論することは不可能である。

 テレビは情報伝達の場であると同時にショーでもあり、そこでは複雑な思想や政策が単純化された形で提示される。今回のやり取りでも、互いの考えの全体像が示されたわけではない。

 太田の政治に対する問題意識や個人的な意見は、彼の著書の中ではもっと言葉を尽くして明確に語られている。一方で、高市首相の政策や安全保障・経済に対する考え方も、『日本の経済安全保障 国家国民を守る黄金律』などの著書では詳細に述べられている。

 数分間のテレビ中継の中で、それらの背景や思想が十分に表現されることはない。本来は、あの短いやり取りだけを見て彼らの思想や主張を評価することはできないはずなのだ。

 太田と高市首相は会話の中でどちらも手の内を明かしてはいない。限られた時間でそんなことはできないというのは承知の上で、ショーとして最低限のものを見せていただけだ。数分間のやり取りに過剰な意味を見出すのではなく、その外側にある言葉や思想に目を向けることが必要なのではないか。

ラリー遠田(らりー・とおだ)
1979年、愛知県名古屋市生まれ。東京大学文学部卒業。テレビ番組制作会社勤務を経て、作家・ライター、お笑い評論家に。テレビ・お笑いに関する取材、執筆、イベント主催など多岐にわたる活動を行っている。お笑いムック『コメ旬』(キネマ旬報社)の編集長を務めた。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり 〈ポスト平成〉のテレビバラエティ論』(イースト新書)、『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)、『松本人志とお笑いとテレビ』(中公新書ラクレ)など著書多数。

デイリー新潮編集部

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