夜勤の妻が行為中なのに眠ってしまう…「侮辱された気がする」 39歳夫の寂しさを埋めた“まさかの副業”は許されるのか
「甘える」が分からない
結婚も妊娠も仕事も、彼女の人生を形成するもののひとつで、それらはすべて彼女にとって重要なことなのに、謙二郎さんは自分が特別だと思えないことにいらだっていたのかもしれない。それは子どものころからの生い立ちと無関係ではなさそうだ。
「入院ばかりしていた子どものころ、寂しいという気持ちをどうやって自分で処理したらいいかわからなかった。感情を言語化することもできない時期ですから。同じ病室には、夜になると『ママー』と泣く子もいたけど、僕は泣いたことがなかった。ただ、昼でも夜でも、いつも真っ暗な闇の世界を漂っているような気持ちでした。その後、元気になってからも、僕は必要以上に母に甘えたりしなかった。母は必死で稼ぐことしか考えていなかったし、それは僕のせいでもあったから、母には負担をかけてはいけないとずっと思っていた」
母の愛は、病気の彼のために必死で稼ぐことだった。それがわかっていたから、彼は他の子どものように母を求めて泣いたりはしなかった。思えばけなげである。そういう経緯もあって、「甘えること」や「愛情を注ぐこと」がどういうことなのか実感できなかったのだろうと彼は自己分析した。
「29歳で、女の子の父親になりました。びっくりしたのは産休をとって保育園の様子を見ながら仕事に復帰すると言っていためぐみが、いきなり仕事を辞めたこと。取り憑かれたように仕事をしていたのに、出産後、『私はこの子のために生きる』と。辞めなくても、働き方を変えるとかできないのと聞いたんですが、『いいの、辞める』の一点張りでした」
「3人で一緒に歩いていこう」
めぐみさんは今度は、子育てに夢中になった。彼が娘のおむつを換えたりミルクを作ろうとすると飛んできて自分でやろうとする。どんなに疲れていても、少しの物音に飛び起きた。
「このままだとめぐみのほうが体を壊す。そう思いましたが、彼女は意固地なところがあるから、休もうとしない。そしてとうとう、8ヶ月ほどたったときに倒れました。直情径行型というか猪突猛進というか、彼女はひとつのことに突っ走って倒れるまでがんばってしまう。僕も親となったんだから、僕を信用してほしい、家族3人で一緒に歩いていこうと言ったら、病室でようやく頷いた。ただ、退院後もあまり変わりませんでしたけど」
良くも悪くも妻は暴走するタイプだと、謙二郎さんはしっかり頭に刻み込んだ。もはや妻に甘えたいとか特別視してほしいとか言っていられる状況ではなかった。娘を無事に大きくすることだけを考えよう。それしかできないと彼が頭を切り替えた時期だった。
「ただ、生活は厳しかったですね。僕の給料だけではやっていけず、妻は貯金を切り崩していた。うちの会社は副業も禁止されていないし報告する義務もなかったので、何かで稼げないか必死で考えました」
そして始めた副業は「想像もつかないような世界」だった
そして彼が行き着いたのが「出張ホスト」だった。めったに飲み会にも参加せず、ほとんどまっすぐ帰宅していた彼が、ある日ふと、以前から気になっていたバーの扉を開けた。渋い雰囲気を味わいながら飲んでいると、たまたま隣に座った女性から声をかけられた。なんということもない世間話をし、そろそろ帰りますと外へ出た。
「その女性が追ってきたんですよ、そして少しだけ話ができないかと近くの喫茶店に強引に誘われて。それが事務所の社長でした。『女性とデートするだけでいいの。性的なサービスをする必要はない』って。けっこういい収入になるかもしれないと言われて、その気になりました」
口がうまいわけでもない自分にできる仕事かどうかはわからなかったが、向いてないと思ったらやめればいいと社長は言った。
「週末、2日間、じっくり研修を受けました。主に会話の進め方とかエスコートのしかたとか。『不器用だけど実直というのがあなたのウリになる』と言われて、僕は市場に出るとそういう評価なのかと興味深かったですね」
初仕事は、今までにないような緊張感にさらされた。常連の客をつけてくれたので、彼女からもさまざまなことを教わった。
「正直言っておもしろかった。生身の人間を相手にする仕事、僕の言動如何によって収入が生まれる。今までまったく想像もつかないような世界でした」
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