「平野歩夢」と金メダルを争ったレジェンド「ショーン・ホワイト」の功績…98年「スノボ競技」採用は五輪の命運を握る決断だった

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五輪の転機となったスノーボードの採用

 スノーボードは1998年長野五輪からオリンピックの正式種目に採用された。当初は、男女ハーフパイプと男女大回転が実施された。

 これは当時、オリンピックの存亡にも関わる大きな出来事、IOCの分岐点と言ってもいい出来事だったと私は感じている。五輪人気の低迷が案じられ、一方で1994年に始まったXゲームズ(当初はエクストリーム・ゲームズ)の人気が沸騰していた。スケートボード、BMX、スノーボード、サーフィンなど、従来のスポーツのイメージを凌駕するポップでハイな感覚の競技が若者たちの心を捉えた。その勢いなら、五輪がXゲームズに凌駕されるのではないかと予測する向きも少なくなかった。ところが、IOCは大胆な決断をした。Xゲームズと張り合うのでなく、従来の五輪のイメージとは相容れない印象の強いXゲームズ系の競技を積極的に採り入れ、五輪の傘の下に収めようとしたのだ。その目論見は成功し、いまではXゲームズ系の種目が夏も冬も五輪の主要な人気種目となっている。おかげで五輪は古臭い大会でなく、新鮮なムーブメントを包含する先鋭的なイベントとして君臨し続けている。東京2020からはスケートボード、サーフィンも採用され、2024年パリ五輪ではブレイキンも種目となった。スノーボードの採用を契機に、五輪自体が方向性を変えた一大転換期だったのだ。

 オリンピックの金メダリストになることで、時代のアイコンとなり、ビッグ・ビジネスの可能性が生まれる。その成功例がもう何例もあるのだから、若い選手が次のアイコンを目指すのは当然といえば当然だろう。

 だが、この流れに異を唱える選手たちもいた。代表格がテリエだった。彼は当然、長野五輪で初代金メダリストになる最右翼だった。しかし、テリエは長野五輪に出場しなかった。出られなかったのではない。敢然と欠場を選択したのだ。

「オリンピックの国対国の構図はスノーボードの〈自由な精神〉に反する」というのが正式な拒絶の理由だった。背景には、IOCがそれまでスノーボードの発展に尽くしてきたISF(国際スノーボード連盟)でなくFIS(国際スキー連盟)に競技運営や選手選考を託したことへの強い反発もあった。

金メダルが必ずしも最高の価値ではない

 五輪に出場しなかったことで、テリエはスノーボード愛好者のレジェンドであっても、世界のスポーツファン全体に敬愛される機会を失った。代わって、五輪に登場し、劇的な優勝争いを制し、多くのファンに尊敬される存在となったのがショーンであり、平野だ。

 オリンピックに絶大な影響力があることは否めない。余計な理屈や哲学を抜きにして、「出るしかない」という判断を咎める気はない。だがこうした巨大ビジネス化した“哲学なきオリンピック帝国主義”に駆逐され、スポーツの大切な何かが失われていないのか、考える機会はあっていいだろうと私は思う。

 東京2020のスケートボード中継の解説者として、「ゴン攻め」「ビッタビタ!」などの名言(迷言)で視聴者の胸を捉えたのは瀬尻亮だ。彼もまた実力的には解説者の席でなく、選手として競技に参加してもおかしくない、というか本来なら参加すべき実力者だった。そのことをどれだけの日本人が知っているだろう。東京2020の3年前、NHK総合テレビ「グッと!スポーツ」に出演したプロ・スケートボーダーの瀬尻亮の言葉がいまだに頭の中で響き続けている。

「東京五輪に出るかどうか、まだ決めていません」、番組が彼を主役に選んだのは、当然、金メダル候補の実力者だから。しかし、瀬尻は自然体でこんな風に言った。

「僕らスケートボーダーはライバルであっても素晴らしい技を決めたら『やったな』ってハイタッチして一緒に喜ぶのが当たり前なので、オリンピックで『日本選手だけがんばれ』みたいな空気はちょっと違うなと思って」

 その言葉をどれほどの日本人が理解できただろう。瀬尻はこんな風にも言った。

「いままた新しい動画を作っていて、これを世界中のファンに見てもらえたら自分の演技の高さや価値は理解してもらえる」

 オリンピックの金メダルが必ずしも最高の価値ではない。時代は多様化している。相変わらずメダルを獲った日本選手ばかりを話題にするマスメディアの報道姿勢。オールドメディアのこうした古さも見直される時期に来ている。

スポーツライター・小林信也

デイリー新潮編集部

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