「打たれた桑田の肩を抱いて…」人徳にあふれた元巨人軍監督「藤田元司さん」 優勝する年、試合中のチームに起きる不思議な出来事とは

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「気遣いの人」がなめた苦汁

 巨人入団後の逸話を、チームメートだった広岡達朗氏が明かす。

「僕の打順の時、長嶋に1日おきにホームスチールされて、頭にきて、その回のチェンジで家に帰ったことがあった。そうしたら元(がん)ちゃんが電話をくれて、ゲームが終わっていないのに帰ったのはまずい。末永く野球をやるんだから、監督に謝った方がいいと、慰めと助言をもらいましたよ」

 が、気遣いをしても、報われるとはかぎらない。

 現役時代は入団3年で73勝をあげたが、「断ることを知らない性格」(広岡氏)が災いして8年しかもたなかった。昭和40(1965)年に巨人コーチになるが、V9を遂げる昭和48(1973)年夏に二軍コーチに格下げされ、シーズン終了後にスカウトに転出。収入が激減し、転居まで余儀なくされた。

大洋時代は「思い出したくもない」

 それでも、当時の川上哲治監督には、ひたすら忠誠を誓ったという。

「賭け事でも何でも、いちど乗ったら途中で降りるのが嫌いで、川上さんに対してもそう。義兄とのからみで暴力団との関係を疑われた時、川上さんが守ってくれたのに恩義を感じてからは、川上さんが石に凝れば石、釣りに凝れば釣り。別荘や墓まで隣に買っていましたよ」(広岡氏)

 くだんの“疑惑”では、1カ月の謹慎処分を受けた。昭和50(1975)年から2年間、大洋のコーチを務めた時は、勝っても負けても輪になって酒を飲んでいる様子に耐えられず、「思い出したくもない」と語っていたという。

「そういう不遇な時代がバネになったからでしょう」と、再び佐々木氏。

「王さんの後を受けて日本一になった時、優勝するシーズンはチームに何が起きるのかと尋ねたら、試合中にベンチにいる全員が泣き出すことが5、6回あると言っていました」

 人心掌握のツボは、だてには身につかないということか。その時、すでに心臓が悪く、腎臓にも病魔は忍び寄り、2年前に余命1カ月を宣告されていた。平成18(2006)年2月9日没。享年74。

デイリー新潮編集部

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