昭和57年「2月8日、9日」立て続けに起きた“惨事”…「ホテル・ニュージャパン火災」対応に追われる警視庁を震撼させた“羽田沖で航空機墜落”の一報

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フイルムが足りない!

 格納庫で検視作業を見守っていた田宮氏のもとに、鑑識課員から困った報告が上がる。日航が手配した医師が、遺体の損傷部分を縫合しているという。監察医による検視はまだこれからだ。田宮氏が現場に向かい、「誰の許可を得ているのか?」と詰問した。立ち合いの日航社員は、こう語ったという。

「損傷のあるままでは、家族に引き渡せませんので、契約している病院の医師に来てもらいました」

 田宮氏は、監察医による検視がおわるまでは家族に遺体を渡せないこと、損傷部位をそのままにしておかないと正確な検視ができないことを説明した。その一方で、現場では別の問題も生じていた。「昨日の今日」ということもあるが、鑑識課員にとって大切な資材が不足した。フイルムである。

〈鑑識活動用のフイルムは、本部で使用するものは国費、警察署で使用するのは都費と、予算上は区分されているが、そんなことはともかく、本部鑑識課、空港警察署のどちらにも備蓄しているフイルムが底を突いてしまったのである。

「課長、フイルムが足りません」

 と言われた私は、

「町の写真店から買い集めろ、予算措置はあとでする」

 と指示して、その日の活動に間に合わせた。〉(前掲書より)

 田宮氏はこの直後、警視庁捜査第1課長に就任。ニュージャパンと日航機事故について、刑事責任を問うべく捜査を進める。結果、ニュージャパンでは横井秀樹社長(当時)や副社長ら4人を業務上過失致死傷容疑で逮捕(11月18日)した。日航機は、機長が統合失調症と診断され、不起訴となった。

 東京消防庁と警視庁にとって、連続して重大災害・事件が起きた昭和57年2月8日から9日。多くの犠牲と共に、助かった命もあった。二度とこのような悲惨な出来事が起こらないことを願いたい。

【第1回は「『ファイアー、ヘルプミー!』 都心の超一等地『ホテル・ニュージャパン』を襲った業火…消防への通報まで『空白の24分間』が生じた理由」大惨事の発端は何だったのか】

デイリー新潮編集部

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