昭和57年「2月8日、9日」立て続けに起きた“惨事”…「ホテル・ニュージャパン火災」対応に追われる警視庁を震撼させた“羽田沖で航空機墜落”の一報
昭和57年2月に起こった「ホテル・ニュージャパン火災」。33人の死者を出すという未曽有の大火災に加え、スプリンクラーの不備など、会社側の不備も指摘された。警視庁は業務上過失致死事件とみて捜査本部を設置した。火災鎮火から一夜明けた2月9日、本格的な現場検証が始まるところだったのだが……。(全3回の第3回)
【写真を見る】大火災に飛行機墜落…連続して訪れた大惨事の現場
日航機が墜落
昭和57年2月9日、午前8時44分――当時、警視庁鑑識課長だった田宮榮一氏は、前日に起きたホテル・ニュージャパン火災の現場検証などに立ち会うため、公用車で首都高速を走行中だった。霞が関ランプ近くに差し掛かった時、羽田沖で日本航空機が墜落したとの第一報を得る。
〈至急、至急、警視庁から各局。羽田沖で航空機墜落の模様〉
田宮氏は車を停めさせ、続報を待った。やがて正式に墜落の無線が流れ、通信指令本部から「無線通話を統制する(不急な通話はしないように、という指示)」との連絡が流れた。上空には警視庁のヘリが飛んでいる。ホテル・ニュージャパン(以下、ニュージャパン)の現場を上空から撮影するよう、田宮氏が指示していたので鑑識課のカメラマンが乗っている。
田宮氏は無線機でヘリに「羽田に急行して墜落した飛行機を撮ってくれ」と命じ、続けて鑑識課には「ホテルには現場保存に必要な要員だけを配置し、他は羽田に急行せよ」と指示を出し、改めて無線機を握った。
〈鑑識20から警視庁〉
「鑑識20」とは、鑑識課長のコールナンバーである。
〈警視庁です、どうぞ〉
〈これより羽田空港に急行する。鑑識課員には出動の指示済み〉
乗客乗員174人を乗せて福岡空港を出発した日本航空350便は、羽田空港への着陸態勢に入っていた。羽田沖に並んだ進入灯に向かって高度を下げ始め、滑走路まであと数百メートルという時に、操縦席で異常が起こる。
航空機が着陸態勢に入ると、自動操縦から手動に切り替わる。副操縦士が高度計をカウントダウンし、高度が200フィートにくると、機長は着陸か、やり直しかの最終判断をする。まさに、その時だった。
「キャプテン(機長)、何をするんですか。やめてください!」
突然、機長がエンジンを逆噴射するレバーを引いた。副操縦士が制止しようとするが、推進力を失い、機首を大きく下げた機体は進入灯に衝突。機首部分で二つに折れて東京湾に突っ込んだ。滑走路まで360メートルの海中である。24人が死亡、149人が重軽傷を負った。
前日のニュージャパン火災から立て続けに起こった大災害である。
[1/3ページ]


