昭和57年「2月8日、9日」立て続けに起きた“惨事”…「ホテル・ニュージャパン火災」対応に追われる警視庁を震撼させた“羽田沖で航空機墜落”の一報

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懸命の救助作業

 田宮氏が羽田空港に到着し、現場のC滑走路に向かうと銀色の機体が海上に浮かんでいた。乗客が水をかき分けながら岸に向かってくる。這い上がると息も絶え絶えに、その場にへたり込んでしまったという。

 東京消防庁も救急車、特別救助者、航空隊のヘリコプターなど、消防力を結集してけが人の救助に当たったが、羽田空港周辺の医院からも医師がかけつけ、けが人の手当てを行った。滑走路には何十人もの犠牲者が横たわる。消防士や医師が「大丈夫ですか?」と声をかけて回る。

「痛い!」「早く助けてくれ!」

 申し訳ない、とは思いながら、声を出して反応できる人は、後に回す。口もきけずにぐったりしている人から最優先で対応しないと危ない。2月の早朝、海水に浸かっている体はそれでなくても体温下降が著しい。機内に取り残された乗客の救出は特に困難を極めた。侵入や救出を容易にするため、特別救助隊がエンジンカッターで機体の切断を試みるが、飛行機の頑丈な機体は容易に破壊できない。漏れたジェット燃料に引火する危険性もある。

 文字通り、決死の救出劇が繰り広げられた。

〈海中を自力で歩いて岸にたどり着く乗客が途絶えると、船に救出され、負傷した乗客が救急車に運ばれていった。次に搬出されてきたのは、犠牲者の遺体だった。

 空港警察署では空港近くのお寺の境内を確保したということだったが、私は、

「そんな狭い場所では駄目だ。日航と交渉して格納庫を提供してもらってほしい。タオルや毛布も準備させろ。検死が終わった遺体を安置する場所も必要だ。会議室を使わせてもらおう」

 と注文した。これは前日のホテル・ニュージャパンにおける遺体検死の経験によるものだったが、すぐに活かされたと思った。〉(田宮榮一著『警視庁捜査一課長 特捜本部事件簿』角川書店)

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