「ここに置いた女性の遺体がない!」 昭和史に残る「ホテル・ニュージャパン」大火災…警視庁捜査一課長が気づいた“異変”の正体とは

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本格化する検証作業……

 その後の警視庁の捜査で浮かび上がったのは、横井英樹社長のワンマン経営ぶりだった。多くの取引業者に事情を聴くと、とにかく「支払いが遅い」という。社内では「一万円以上の支出には社長の決裁が必要」と通達されていた。宿泊客の安全を最優先すべき、従業員の動きが悪くなるのは、こうしたところにも要因があったのである。

 上述した、火災報知器が作動しなかったのは電源が切られていたからだったが、その理由は誤報が多く、そのたびに点検をするのでは要員がたりないから、というものだった。また消防からスプリンクラー設置を指導されていたが、天井にはスプリンクラーの金具をつけただけ。天井裏にあるべき配管はなかった。さらに、

〈ホテルの収支は大福帳経理で行われており、バランスシートがなかった。横井氏の「社長の俺がわかればいいんだ」という方針のようだったが、同氏は不備な点を指摘されると、

「それはわかるが、ホテルは赤字続きだから、苦しくて金がない」

 を繰り返すばかりだった。一方の社員は、

「そんなことはない。利益は出ている」

 と述べていたが、実態は分からないようだった。

 そこで、捜査二課から帳簿捜査専門官の応援を得て、五年前に遡ってバランスシートを作ってもらった。その結果、ホテルは黒字経営で、多額の金が女囲いなど社長の私的な事がらに流用されていることが明らかになった。〉(同)

 話を火災直後に戻す――。

 増上寺の検視作業から警視庁本部の鑑識課に戻り、捜査本部のある麹町警察署へ……。重大事件が起きると、捜査第1課長と同じくらい、鑑識課長も激務となる。捜査会議で、それまでの経過と翌日からの検証作業の内容を報告、官舎に戻ったのは2月9日午前3時過ぎだった。

 数時間の仮眠の後、田宮氏は再びニュージャパンの検証にあたる……はずだった。

【第3回は「昭和57年『2月8日、9日』立て続けに起きた“惨事”…『ホテル・ニュージャパン火災』対応に追われる警視庁を震撼させた“羽田沖で航空機墜落”の一報」大火災の翌日に起こった大惨事の全貌】

デイリー新潮編集部

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