「ここに置いた女性の遺体がない!」 昭和史に残る「ホテル・ニュージャパン」大火災…警視庁捜査一課長が気づいた“異変”の正体とは
昭和57年2月に起こった「ホテル・ニュージャパン火災」の衝撃は凄まじいものだった。激しい炎が迫る客室の窓にしがみつきながら、助けを求める寝間着姿の宿泊客――。都心にそびえる大型ホテルが、あっという間に火に包まれる。ニュース映像や報道を見て、あらためて火災の怖さを認識することになるが、その最前線の現場はどうなっていたのか?(全3回の第2回)
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決死の救助作業
ホテル・ニュージャパン(以下、ニュージャパン)火災で出場した特別救助隊(特救隊)は8隊。東京消防庁警防部の記録によると、顕著な活動をしたのは永田町特救隊と芝特救隊だった。この2隊はホテルの警備員の案内を得ながら非常階段を駆け上がり、火点階(9階)に到達したが、階段から廊下に通じる鉄扉は赤熱膨張しており、開放どころか触ることもできない。
そこで1隊は10階へ向かい、面体(呼吸器)を着装して10階を検索。さらに屋上に向かい、直接屋上に向かったもう1隊と協力して、9~10階から屋上への吊り上げで5名、8階への吊り下げにより6名を救助したのち、火点階に突入。9階の廊下に倒れていた5名を8階まで救助搬送した。まさに決死の救助活動であり、隊員が火傷を負っている。
はしご隊は12隊出場、うち11隊が消化救助活動に従事した。部署(消防では現場到着と共に必要な配置につくことをこう表現する)した時、9~10階の黒煙が噴出する開口部から、救いを求めて手を振る宿泊客の姿が見えた。急いで準備を進めているとき、耐えきれなくなったのか、窓から飛び降りる宿泊客が見えた。備え付けの拡声器を使い、隊員が叫ぶ。
「手を振っている人! 消防隊はあなたの姿を確認している。すぐに助けるから、落ち着いて!」
隊員をはしごに先端搭乗させて17名を救助したほか、9~10階の階段室や鉄扉を冷却しながらエンジンカッターで切断し、高圧噴霧の援護を受けながら進入。まだ燃焼していない客室や廊下などで倒れていた22名を救助した。
迫りくる炎の熱さと、恐怖もあったのだろう。9~10階から、2~5階相当の陸屋根に飛び降りた宿泊客は15名だった。内訳は男性が8名、女性7名。すぐに救急隊に引き渡し、病院へ搬送したが、2名の女性以外は死亡が確認された。
午後12時36分の鎮火まで、東京消防庁は128隊、677名の消防士を動員した。長時間の消防活動を支えたのは空気ボンベ補給小隊、燃料補給隊、給食隊(隊員に非常食760食のほか、コーヒーや紅茶を支給した)など、多くの消防士たちの奮闘があったことも特筆すべきである。
ホテル火災では、大区画の百貨店火災とは異なり、出火した部屋やその隣室までで延焼を阻止できるケースがほとんどである。それがここまで火災が拡大した原因は、第1回で記したように初期通報の遅れがあげられるが、他にもスプリンクラーと防火区画の設備がなかったこと、客室の扉が木製だったこと、空調が止められ館内が異常なくらい乾燥していたことなど、建物の構造上の欠陥もあった。
自動火災報知機が作動しない、従業員に対する火災など非常時の教育訓練が不徹底であったことも、被害者を多数出した要因として挙げられる。また、廊下は三差路の組み合わせのため、方向を見失いがちであり、階段の場所が分かりにくいことも、外国人宿泊客が多いホテルとしては問題であった。
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