【豊臣兄弟!】100倍楽しむために知っておきたい 秀長にはあって秀吉にはなかった決定的な資質

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ドラマ並みに貧しかった

 藤吉郎(池松壮亮、のちの羽柴秀吉)と小一郎(仲野太賀、のちの羽柴秀長)という兄弟2人の性質や資質の違いが、なかなかよく描けていると感じている。NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』。

 たとえば、第4回「桶狭間!」(1月25日放送)では、合戦の翌日、各人が討ちとった首を検分して恩賞を決める首実検の場面で、印象に残る描写があった。藤吉郎を足軽組頭に任命した織田信長(小栗旬)は、小一郎には近習、つまり信長の側近くに仕えて護衛のほか雑務から戦闘までを担当する役を務めるように命じた。

 信長は藤吉郎を、雑兵たちの指揮官として使おうとする一方で、小一郎のことは信長を身近で支える役に抜擢しようとした、という描き方で、この信長の判断自体が、兄弟それぞれのキャラクターに即していた。加えて、このとき小一郎は信長に、「手前にはさような力はござりませぬ。わしは兄に従い、兄とともに殿にお仕えしとうございます」といった。一歩引いて謙虚に自分を見つめ直すところに、秀長らしさが宿っていると感じられた。

 第5回「嘘から出た実(まこと)」(2月1日放送)では、信長の前で槍の腕前を競う御前大試合の場面が印象的だった。藤吉郎は試合で前田利家(大東駿介)に勝ち、想い人である寧々(浜辺美波)にいいところを見せたいと思っている。そこで小一郎が行ったのは、対戦の組み合わせに細工をすることだった。利家には強い相手ばかりを当てて疲れさせ、藤吉郎には弱い相手を当てて最後まで勝ち抜かせる、という作戦だった。だが、この両者が決勝まで進んだのはよかったが、利家はまったく疲れていないのが誤算だった。

 結局、藤吉郎は利家に敗れてしまうが、じつは、信長は試合を見ながら細工に気づいていた。そして、兄弟がこうした策を弄せるなら、ということで、美濃(岐阜県南部)を攻めるのに重要な鵜沼城(岐阜県各務原市)を調略するように命じたのである。その成否はともかくとして、小一郎が大局を見て策を弄せる人間だ、という描き方が的を射ているように思われる。

秀吉は新王に、秀長は関白に

 藤吉郎と小一郎、すなわち秀吉と秀長の兄弟の違いが、同時代の史料上で端的に表現されたのは、時代がずっと下って、天正13年(1585)になってからだった。この年の7月、秀吉はすでに関白に任ぜられていた。そして、秀吉は10月6日に御所に参内し、そのとき秀吉に供奉することになった10人の大名に、朝廷から官職があたえられた。

 そのとき10人のうちで筆頭の、従三位参議近衛中将に叙任されたのが秀長だった。これを機に秀吉は、自身の政権を朝廷からあたえられる官位によって秩序づけるようになる。それにあたり、大名の筆頭にいたのが秀長で、官位がそれを超えるのは、武家としては秀吉を除けば、かつての主君である織田信雄だけだった。

 奈良の興福寺の塔頭である多聞院の僧が書き継いだ『多聞院日記』によれば、この任官に際して、奈良では次のような噂が流されたのだという。「秀吉新王ニナリ、秀長又関白ニ成ル歟(秀吉は「新王」になり、秀長は「関白」になるということなのか)」。

 もちろん、これは単なる誤報なのだが、兄弟がそれぞれどのように捉えられ、評価されていたかを示していて興味深い。すなわち、秀吉は天皇に代わる王のような存在になり、絶対的な権力として君臨する。一方、秀長は豊臣政権において軍事および運営の要なので、実質的に政務を切り盛りする関白に就任する、という見方である。言い換えれば、地に足のついた政権運営は弟の秀長のほうが得意だ、と捉えられていたことになる。

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