補欠から「準V」の快挙も…センバツ、当確ラインギリギリから大躍進したチーム列伝
今春開催される第98回選抜高校野球大会の出場校が1月30日に決定する。出場32校の中には、最後の1枠に滑り込む形で出場権を得た幸運なチームも存在する。そして、これらの当確ラインギリギリで選ばれたチームが、大会で優勝候補を倒して旋風を起こすのも、高校野球ならではの魅力である。【久保田龍雄/ライター】
優勝まであと一歩のところまで
各地区の補欠校の中から選ばれる「希望枠」(2003年に導入)で“センバツ切符”を手にしたばかりではなく、一気に準優勝まで勝ち上がったのが、2007年の大垣日大だ。
前年秋、岐阜県1位校として東海大会に出場した大垣日大は、準決勝で常葉菊川に0対4と完敗し、同地区の出場枠が2であることから、一度はセンバツの望みを絶たれた。
だが、北海道から九州までの9地区の補欠校を対象に、敗退までの直近4試合の被塁打数、与四死球数、失点数、失策数を1試合(9イニング)の平均値の総ポイント数を集計した結果、30ポイントの大垣日大は2位・浦和学院を2ポイント差で上回り、甲子園初出場が決まった。
愛知・東邦時代に春夏通算24回の甲子園出場歴を誇る名将・阪口慶三監督を迎えて3年計画の3年目で夢を叶えたチームは、1回戦で北大津、2回戦では都城泉ヶ丘を連破し、8強入りを決める。
さらに、準々決勝で関西を9対1、準決勝でも中村晃(現・ソフトバンク)、杉谷拳士(元日本ハム)を擁する優勝候補・帝京に5対4と競り勝ち、予想もしなかった決勝戦へ。勝てば、希望枠校では史上初のVが実現するところだったが、東海大会で敗れた常葉菊川に6回まで5対3とリードしながら、8回に逆転を許し、あと1歩及ばず。
甲子園でこれほど成長したチームはありません
終盤の大事なところで自慢の堅守にほころびが出て、1回戦から一人で投げ抜いてきたエース右腕・森田貴之の力投に応えることができなかったが、阪口監督は「ウチは1勝1敗(初戦突破が目標)で帰りたいと思っていたが、4勝もした。甲子園でこれほど成長したチームはありません」と満足そうな笑顔を浮かべた。大垣日大は連続出場した同年夏の甲子園でも8強入りし、以後、甲子園の常連校になった。
その一方で、守備面のデータが重視されていた「希望枠」は、地区によって球場の状態が異なるなどの不公平性が指摘されたことを受け、08年の一関学院を最後に廃止されている。
前年秋の近畿大会で初戦敗退し、ベスト8にも入れなかったのに、地域性などから選ばれ、準優勝校になったのが、2000年の智弁和歌山だ。
前年夏の甲子園4強の智弁和歌山は、新チームのスタートが遅れたばかりでなく、旧チームが熊本開催の秋季国体で優勝した直後に近畿大会初戦の試合が組まれるという過密スケジュールの不利もあり、1回戦で東洋大姫路に1対3で敗れた。
当時の近畿地区の出場7枠は、8強入りしたチームから選ばれるのがほぼお約束とあって、この時点で翌春のセンバツはほぼ絶望と思われた。ところが、上位8校が大阪3、奈良、兵庫各2、京都1と4府県に偏り、和歌山と滋賀はゼロだったことから、地域性で再浮上するチャンスに恵まれる。
また、敗れた東洋大姫路戦も中盤以降は押し気味で、初戦敗退のマイナス要素を差し引いても潜在的な実力を有していることが評価され、準々決勝でいずれも大差で敗れた上宮、高田商を逆転する形で近畿6枠目の座を射止めた。近畿大会初戦敗退のチームが選ばれるのは、1993年の川西明峰、智弁学園以来の珍事だった。
「選んでもらった選考委員に恥はかかせない。さすが智弁という試合をする」(堤野健太郎主将)と甲子園での雪辱を誓ったナインは、1回戦で丸亀に20対8と大勝すると、国士館、柳川、国学院栃木を連破して決勝進出。決勝では東海大相模に2対4と惜敗したが、ノルマは十分にはたした。
高嶋仁監督の「夏に向けていい経験ができた」の言葉どおり、同年夏は通算100安打、チーム打率.413、通算11本塁打など大会記録を次々に塗り替え、2度目の夏制覇を実現した。
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