お台場ににじむ「衰退」感… イマーシブ東京は2年で閉業、ゆりかもめ・りんかい線30年の転身
2024年3月に東京・江東区に鳴り物入りで開業したテーマパーク「イマーシブ・フォート東京」が2026年2月末をもって閉業することが発表された。
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イマーシブ・フォート東京は2022年に閉業したテーマパーク「パレットタウン」の跡地に開業した。実業家の森岡毅氏が手掛ける没入体験をウリにした新たなテーマパークという触れ込みもあって、当初は期待の集客施設と目されていたが、見せ場もなく幕を下ろすことになる。
イマーシブ・フォート東京が奮わなかった理由は多岐に渡り、ひとつに絞ることは難しい。今後、多くの有識者が多角的に分析していくことだろう。
筆者は20年以上前から、東京の湾岸エリアと呼ばれる一帯を継続的に取材してきた。その経験を踏まえると、イマーシブ・フォート東京が早々に撤退してしまう事態は自然な成り行きと受け止めている。なぜなら同地は、オフィスと住居が近接する商住共存を目指していた街で、テーマパークは求められていなかったからだ。
都市博は開催されず
まず、同地の来歴を簡単におさらいしておこう。
同地では、1996年に世界都市博覧会(都市博)が開催される予定になっていた。これは埋立地だった同地には商業施設はおろか住宅すらなかったためで、都市博を起爆剤にして都市開発をする意図を含んでいた。
しかし、青島幸男氏が1995年の都知事選で都市博の開催中止を公約に掲げて当選。青島都知事(当時)は公約を実行して都市博は非開催となった。これに伴って、開発計画は白紙に戻される。
開発機運が萎む中、東京臨海新交通臨海線(ゆりかもめ)と東京臨海高速鉄道(りんかい線)という2つの鉄道路線が立て続けに開業する。これら鉄道路線の整備により、陸の孤島と揶揄された “お台場”へのアクセスが改善されていった。これにより、開発機運が再び盛り返していく。
定着しなかった「レインボータウン」
ゆりかもめは昨年に開業30年、りんかい線は今年に開業30年を迎える。それだけに臨海副都心・湾岸エリアと長らく伴走し、運命をともにしてきた存在でもある。
臨海副都心は一般的に“お台場”という名称で親しまれているが、臨海副都心とお台場の範囲は微妙に異なる。さらに、昨今はタワマンが乱立して湾岸エリアという呼び方も出てきているが、湾岸エリアが示す範囲とも違う。
長らく関係者の間で、“お台場”は13号地という呼び方をされてきた。その理由は、13号地は江東区・品川区・港区の3区にまたがるからだ。台場は港区の町名になるため、13号地全体が港区に帰属するという誤解を受けないように13号地という呼称が用いられた。
厳密な呼称は行政職員や開発に携わる関係者には重要だが、無機質なので親しみづらく、浸透しなかった。
本来なら、まちづくりに着手した時点で住民や来街者などに親しみを抱いてもらえるようにするべく愛称を決める必要があった。それも都市博が中止されたことによって開発を急ぐ必要がなくなり、13号地という呼び方は存置される。
それでもレインボータウンという愛称を制定して来街者の呼び込みを図ったが、残念ながらレインボータウンという呼称は定着していない。現在に至っても、関係者は13号地という呼び方を継続して使用している。
“お台場”という呼称が一般的に普及するのは、1999年に石原慎太郎都知事(当時)が誕生したことがきっかけになっている。石原都知事は同地を “お台場”と呼び、それを機に “お台場”が人口に膾炙していく。
呼び名が普及しても、当時の13号地は茫洋とした荒野が広がるだけの埋立地であることに変わりがなく、お世辞にも来街者が足を向けるような場所ではなかった。
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