「NHKのど自慢」原点のラジオ“第1回大会”から80年 「合格者第1号」がデビューの誘いを蹴った納得の理由「ぼくはそんなのイヤだしね」

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配給かと思って並んだおばさんも

「歌は好きだったよ。ラジオでディック・ミネとか藤山一郎の歌をおぼえてね。昭和21(1946)年の1月19日の大会には早速出かけていきましたよ。NHKの前に300人ぐらいの参加希望者が並んでいたね。なかには配給かと思って並んだおばさんもいたね。ぼくの順番は20~30番目で藤山一郎の『青春日記』を歌ったら、それが最初の合格になったんです」

 と“床屋の英ちゃん”は、当時を回顧する。プロになりたい気もあり、レコード会社からの誘いもあった。

「でもね、あのころ、歌手になるのはお金がかかったのよ。吹き込み終わったら、スタッフに飲ませ食わせをしなくちゃ駄目でね。ぼくは、そんなのイヤだし、第一、金がないもんね」

 で、以後も床屋一筋。昭和35(1960)年からは病院の理容部に移ったが、高血圧など健康を害して昭和53(1978)年に仕事は辞めた。妻子と駅近くの都営アパート暮らし。病院通いの毎日だが、酒好きで焼酎をチビチビやるのが唯一の楽しみ。

「最近も友人とカラオケで歌うこともあるよ。最近ので歌えるのは『矢切の渡し』ぐらいかな。あの歌は、ンチャカ、ンチャカって昔風のリズムだから、あれなら歌えるんだ」

外国の曲はGHQがうるさいから

 やがて「のど自慢」は規模を拡大し、全国大会も開かれるようになった。その第1回が昭和23(1948)年3月21日。会場は東京・神田の共立講堂だった。当時の司会者だった元アナウンサーの大野臻太郎さん(66)によると、

「当日、1500人分の入場券を50円で売りましたが、それを200円で売るダフ屋が出るほどの人気でしたね。出演者の人たちは、きっと周囲の人から元気をつけろということで持たされたんでしょう、皆さん生卵を飲みましてね、トイレが卵のカラだらけになったのをおぼえています」

 この第1回の全国大会の優勝者が羽鳥百合子さん(歌謡曲部門)、岩本忠さん(歌曲部門)、和田ツネさん(民謡部門)の3人だった。羽鳥さん(64)は大会の前年に結婚し、自分も病院の事務員として働いていた。その当時を振り返る。

「何の娯楽もない時代で、あるのは主人のギターと私の歌だけでした。丁度、そのころラジオから流れて来たのが“床屋の英ちゃん”たちののど自慢で、ある日“日本一の会をやる”という放送があって、私も申し込んでみたのです。テストではシャンソンの『人の気も知らないで』を歌ったんですが、“外国の曲はGHQがうるさいから”といわれて、その後は二葉あき子さんの『別れても』という曲にかえました」

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