「負債13億円」を抱えて会社倒産、難病になった夫を24時間看護…13回忌を迎えた「淡路恵子」さんが明かしていた「波乱万丈の80年」

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 女優・淡路恵子さん(享年80)が食道がんで亡くなったのは、2014年の1月11日。今年で13回忌を迎えた。

 黒澤明、成瀬巳喜男監督らの映画や「男はつらいよ」などに出演した名女優として、また後年はバラエティでの舌鋒鋭いコメンテーターとしても人気だった淡路さん。その私生活が、2度の結婚と離婚、夫の難病、息子の逮捕に自死……と波乱万丈であったことでも知られている。それにもかかわらず、過去を後悔しながら振り返ることをよしとしなかった生き方は、おおいなる共感を呼んだものだ。

「週刊新潮」では、淡路さんの死の直後、その前年に行った本人インタビューを基に、彼女の人生を振り返っている。以下、それを再録し、困難の中でも「今をどう生きるか」に全力を投入し続けた、激動の人生を追憶してみよう。

【前後編の前編】

(「週刊新潮」2014年1月23日号記事を一部編集し、再録しました。文中の年齢、肩書等は当時のままです)

***

「おさんどん」に徹する

 最近では“ドラクエファンの大女優”として茶の間に親しまれていた淡路さん。昨年(2013年)7月、大腸に腫瘍が見つかり入院、摘出手術は成功したものの、体重が30キロ台前半にまで落ち込み、そのまま退院は叶わずじまいとなってしまった。

 入院する直前の5月下旬、淡路さんは波乱万丈の生涯を振り返り、本誌に思いの丈を述べていた。以下はその「最後のインタビュー」である。

〈16歳でデビューした私の最初の結婚は、20歳の時でした。相手はフィリピン人歌手のビンボー・ダナオ。彼とは入籍しないまま、“事実婚”を11年間続け、2人の男の子を儲けました。

 そして1966年、錦ちゃん(萬屋錦之介・当時は中村錦之助)から「僕は2人の父になるよ。一緒になろう」と猛烈にプロポーズされ、再婚したのです。錦ちゃんは思った通り心の広い人で、2人の連れ子にも私にもたっぷり愛情を注いでくれた。私はとにかく嬉しかったし、「こんなに素晴らしい役者はいない。芸のことしか頭にない彼を支えられるのは、私しかいない」と考え、当時順調だった女優業を辞めようと決意しました。前夫の時もそうだったのですが、「この人を幸せにできるのは私だけ」と思い込んでしまうところがあって……。錦ちゃんの偉大さに比べたら、当時の私の名声なんて放り出して“おさんどん”に徹するのが本望、とまで思いつめていたのです〉

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