「負債13億円」を抱えて会社倒産、難病になった夫を24時間看護…13回忌を迎えた「淡路恵子」さんが明かしていた「波乱万丈の80年」
プロダクションが倒産
新たに2人の男児にも恵まれ、順調に見えた生活は1982年、錦之介が経営する「中村プロダクション」が約13億円の負債を抱えて倒産したことで一変する。
〈私も連帯保証人だったこともあって、にっちもさっちも行かない状況でした。結婚当初、私たちは高輪の借家に住んでいて、それとは別に私が上目黒に持っていた135坪の一戸建てを外国人に貸し、その賃料を高輪の家賃に充てて暮らしていました。結婚3年目には藤沢に家を建て、“錦之介御殿”と呼ばれましたが、ここも実は上目黒の家を売却した代金をつぎ込んで建てたものでした。
で、この藤沢の家も、プロダクションの資金繰りで担保に入り、倒産と同時に差し押さえ。でも、最初の頃は私が「お母さん、銀座でリヤカー引いてたこ焼きでも売ろうかな」と言うと、三男が「じゃあ僕、後ろから押すよ」。そこで私が「あなたは前で引くのよ」なんて、呑気な会話をしていたものでした。
そして数カ月後、錦ちゃんが原因不明の難病「重症筋無力症」に罹ってしまいます。最初は瞼が下がり、だんだんと腕や首が回らなくなり、ついには呼吸困難まできたしました。病院は完全看護のため、初めは付き添いを断られたのですが、居ても立ってもいられず、頼み込んで病室に簡易ベッドを持ち込んで寝泊まりさせて貰ったのです。錦ちゃんの腕に、赤ん坊が遊ぶおもちゃの鈴をつけて、私の腕に巻きつけた紐とつなげ、合図ですぐに起きられるような仕掛けにしておきました。痰がからんで苦しいと、すぐに錦ちゃんは鈴を鳴らす。その度に私は飛び起きて、看護婦さんを呼んで処置をしてもらっていたのです〉
口にタオルを入れ、一命を取り留める
その間に二度、錦之介は危険な状態に陥ったという。
〈一度目はトイレに行こうとした時。私が錦ちゃんを起こしてスリッパを履かせようとしたら、体がコンニャクのようにグニャグニャになって、顔は真っ青。すぐさま口にタオルを入れ、大声で看護婦さんを呼んで『テンシロン』という強い注射を打って一命を取り留めました。二度目は、トイレでやはりそういう状態になって、何とか救い出せたのですが、そばに私がいなければ命を落としていたことでしょう。原因不明の病気ということで、とにかく日々、怯えていたものですから、人から効くと言われた“おまじない”は、例えば真夜中、2羽分の鶏の白い羽を氷と一緒に家の西の方角に埋めたり、お念仏を唱えながら足の裏を爪楊枝で刺したり……藁にもすがる思いで何でも試していました〉
献身的な看病の甲斐あって錦之介は奇跡の快復を見せ、役者としてカムバックを遂げることができた。
〈しばらくは働けませんから、私が講演活動や六本木のクラブで雇われママをしながら、生活を支えていました。だから84年にテレビの「子連れ狼」スペシャル版で復活したときは、本当に嬉しかったですよ〉
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奇跡の復活である。が、このすぐ後、淡路さんに“人生最大の試練”が襲う。身を捧げるように看病した夫・萬屋錦之介に、まさかの不倫が発覚したのだ。それを知った時の淡路さんの反応は。さらにその後、2人の息子に起こった悲劇とは何か。【後編】で詳述する。







