「土下座してまで出演した映画も…」 仲代達矢の演技を堪能できる名画11選
玄関で土下座
しかし、舞台に立ち続けるために、仲代はこの誘いを断ってしまう。専属契約を結べば、必然的に俳優座を辞めることになり、出たい映画だけでなく、そうではない映画にも顔を出さざるを得なくなる。もっとも、劇団所属のまま良い役が回ってきても、舞台が入っているために映画への出演依頼を断らなければならない可能性もある。
実際、小林正樹監督の「黒い河」(1957)では、そうした事態に直面することになった。監督から直々に指名を受けて「人斬りジョー」という魅力的な悪役がオファーされ、仲代は大いに乗り気になったものの、撮影と舞台が3日間だけ重なることが判明する。仲代は諦め切れずに俳優座代表の千田是也の自宅玄関で土下座し、映画出演の許しを得ようとしたが、応じてもらえなかった。
後に仲代は、俳優座を退団(1979年)した理由の一つに、「先輩たちの多くは、演劇を続けていくために映画で稼ぐ、という考えでした。私は演劇も大事だけれど、映画もそれと同じように大切にしたい。そこに気持ちのずれがありました」(「読売新聞」2015年7月1日)と明かしている。「黒い河」の一件は、仲代にそうした違和感を抱かせる最初の事件だったのかもしれない。
最終的に、見かねた劇団創立メンバーの一人である東野英治郎が舞台の代役を買って出たことで仲代は映画出演を実現させた。劇団の先輩である東野が救ったのだ。
「黒い河」には、監督昇進直前の大島渚が助監督で就いていた。仲代の無機質、無表情を基調とした演技を目の当たりにした大島は、「スクリーンの上に、はじめて、素人のような魅力と玄人の腕を持った男が登場した」(『戦後映画・破壊と創造』三一書房)と絶賛した。
飛躍しつつあるタイミングで良い役をつかみ取り、期待以上の演技を見せる――。昔も今も、上昇期にある俳優は、自分を生かす役に巡り会えるかどうかで、その一生が決定付けられる。
仲代にとって決定的な役
日本の映画入場者数が歴代最高となる11億2700万人を記録した1958年は、仲代にとって決定的な年となった。自身の出演作ベストに数える映画と立て続けに出会ったからだ。
1950年の金閣寺放火事件を基にした三島由紀夫の『金閣寺』を映画化した市川崑監督「炎上」は、市川雷蔵が金閣(劇中では驟閣〈しゅうかく〉)の美しさに引かれ、遂には火を放つ吃音の若き僧侶を演じた。仲代は、彼の大学の同級生役である。足が不自由で、同情心を買いながら女性たちを懐柔する。そして主人公には辛辣(しんらつ)な言葉を浴びせかける冷酷無比なキャラクターである。「こういう屈折した役が好き」(「読売新聞」2015年6月29日)という仲代は、雷蔵と堂々と渡り合った。
この年から、仲代は足かけ3年にわたって製作された超大作で主役の座を手にする。小林正樹監督「人間の條件」(第1部・2部、1959・1月)、(第3部・4部、同11月)、(第5部・6部、1961)である。
五味川純平の同名原作を基に、軍隊の非人道性と、戦争によって過酷な運命をたどる主人公・梶の姿を描いた本作は、全6部で9時間半の大長編だった。梶を誰が演じるかが注目の的だったが、仲代自身はそれまで悪役が多かったこともあり、ヒューマニストの梶役が回ってくるとは想像もしていなかった。小林は熟慮の末に仲代を指名した。「黒い河」への出演が、この大抜てきにつながったのだ。
「人間の條件」シリーズによって、仲代は押しも押されもせぬ存在となるも、公開直後に「僕自身の値打が変ったと思えないのに、マスコミや映画会社の扱いが変るのには、正直なところ驚いた」(『役者 MEMO 1955―1980』講談社)と、戸惑いを記している。
それを象徴する出来事が、第5部・6部の撮影準備中に起きた。小林の元へ黒澤明監督が訪ねてきて、「用心棒」(1961)の三船敏郎の敵役に仲代を貸してほしいと言うのだ。映画黄金時代、気鋭の監督たちは、自分ならば、この俳優をこう使うと、互いに張り合っていた。
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