高校授業料の無償化は格差拡大にしかならない… 支出するべきはむしろ「大学」
学費負担が大きいのは高校でなく大学
子供の教育にかかる費用は、日本はたしかに高い。最大の理由は、教育への公的支出が低いことにある。日本は公的支出のうち教育費が占める割合は約8%だが、これは経済協力開発機構(OECD)の平均11.5%を3.5%も下回り、加盟37カ国のうちで4番目に低い数字である。
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そう聞くと、やはり高校授業料の無償化は必要だった、と思うかもしれない。だが、初等教育から中等教育、つまり高校までの在学者に対する年間の公的支出にかぎると、1人あたり1万993ドル(約171万円)で、OECD加盟および候補国47カ国中では、24位と中位につけている。必ずしも低いとはいえない。
じつは問題なのは、大学などの高等教育機関の在籍者への公的支出で、こちらはOECD平均の1万5,102ドル(約235万6,000円)に対し、8,184ドル(約127万6,000円)にすぎない。
日本では、大学の授業料は高いのが当然だと思われている。だが、たとえばヨーロッパを見ると、税金は高いが福祉が充実していることで知られるフィンランドやスウェーデンでは、国私立大学ともに学費はかからず、フランスやドイツも国公立大学は無償である。アメリカは授業料が高いが、奨学金などの支援金が充実し、世帯収入次第では授業料があまりかからない。
一方、高額の授業料を要求される日本の大学は、授業や研究の体制が充実しているのかといえば、そうとはいえない。日本の国立大学は国の行政機関だったが、2004年に国立大学法人に移行した。大学の自主性や自律性を高め、国際競争力を高めるという建前だったが、以後、運営費交付金は少しずつ削減されている。
2004年度に1兆2,415億円だった交付金は、23年度には1兆784億円にまで減った。これはすなわち大学の基盤経費の削減で、国際ランキング上で日本の大学の位置が低下している原因だと指摘されている。そのことが、日本の国力低下に直結することはいうまでもない。そうである以上、国の財政がきわめて厳しいなかで、教育への公的支出を増やすとしたら、対象は高校ではなく大学なのではないだろうか。
むしろ副作用が目立つ
そこまで理解したうえで、高校授業料の無償化について考えてみたい。2025年10月31日に自民党と日本維新の会は、2026年度から所得による制限なく、私立高校に通う生徒も実質的に授業料が無償化されるという内容に合意した。2026年度予算と関連法案が成立すれば、それが実現される。
所得制限のない高校授業料の無償化は、かねてからの日本維新の会の主張だった。すでに2025年2月には、自民党、公明党、日本維新の会の3党間で合意が形成され、公立高校に関しては所得にかぎらず実質的に無償化された。従来の910万円未満という制限が撤廃され、全世帯が公立高校の授業料に相当する年額11万8,800円の支援を受けられるようになったのだ。
維新の連立入りにより、2026年度からは所得を問わずに全世帯が、私立高校の授業料の全国平均相当額である45万7,000円の支援を受けられるようになる。これまで年収590万円未満の世帯にかぎって、年額39万6,000円を上限に支援があったが、2026年度からは私立高校が、所得制限なしに実質的に無償化されるということだ。
そのための予算規模は約6,000億円が予定されているが、仮にそれを国立大学の運営費交付金に回せば、日本の大学はかなり息を吹き返すのではないだろうか。なぜ、そんなことをいうのかといえば、高校授業料の無償化は生活が苦しい世帯への支援策ではないうえに、効果よりもむしろ副作用が目立つ結果になりかねず、リスクが大きいと考えるからである。
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