棚橋弘至「1・4東京ドーム」でオカダ・カズチカと激突! “100年に1人の逸材”に「こいつ、底が知れんなぁ」と言わしめた“レインメーカー”との全熱闘を振り返る

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 2026年1月4日にプロレスラーを引退する棚橋弘至が、トークショーでライバルのことを分析したことがある(2024年12月7日・熊本「くまもと森都心プラザ プラザホール」)

「こいつ、プロレスが好きなんだなあと思ったのが内藤(哲也)、これでウエイト(トレーニング)やって、筋肉つけたら最強だなあと思ったのが中邑(真輔)」

 さらに、「こいつ、底が知れんなぁと思った」のがオカダ・カズチカであった。そして棚橋の引退試合の相手が、オカダに決まった。既に会場の東京ドームのチケットは、前売りで完売した。引退する棚橋と、最後の対戦相手となるオカダの、比類なき闘いのドラマを紐解きたい(文中敬称略)。

久々のイケメン

 棚橋弘至は1999年、新日本プロレスでデビュー。2025年9月、筆者の取材にユーモア溢れる口ぶりで、入門当時のことを振り返った。

「(当時の大先輩だった)蝶野さんがね、『おお、久々にイケメンの新人が入って来たな』と言ってくれたんです(苦笑)」

 それまでのイケメン選手が誰だったのかはさておき、体も既に鍛え上げてあり、瞬く間にスター候補生として頭角を現す。2003年10月には10人タッグマッチだったが、東京ドーム大会でメインに登場。2005年7月には別団体であるNOAHの東京ドーム大会で、同団体の至宝である、GHCヘビー級王座に挑戦している。

 同年11月、新日本プロレスは(株)ユークスに身売り。バジェット(予算)も減る中、この時、「俺一人でも盛り上げますよ」と燃えていたのが棚橋だった。意欲的にプロモーション活動に打って出た。テレビに出られるのを待つより、自発的に地方のラジオ番組へ出演した。一度出れば必ず名前を覚えてくれ、次も呼んでくれるからだった。

 翌2006年には、IWGPヘビー級王座を初戴冠。以降、「100年に1人の逸材」を自称し、選手としては最多となる、同王座8度の戴冠を達成。勝利後、皆で合唱する「愛してま~す!」のマイクパフォーマンスも定着した。中でも、5度目の戴冠を果たすまでの1年間は、多種多様な選手を相手にし、2012年1月4日には鈴木みのるを下し、当時の同王座で最多となる、連続11回のタイトル防衛に成功している。この時、35歳。プロレスラーとして、脂も乗り切っていた。その試合の直後、フォーマルな黒シャツ姿で、棚橋の前に立った男がいた。弱冠24歳の、オカダ・カズチカだった。

レインメーカーの誕生

 オカダは、1987年11月、愛知県安城市生まれ。「プロレスラーになるなら早い方がいい」と、学年でも30位以内の好成績ながら、中卒でプロレスラー養成学校「闘龍門」に入学。16歳だった2004年8月29日にメキシコでデビュー。最初の1試合のギャラは約500円(当時のメキシコの500ペソ)で、交通費込みだったので、バスで行き帰りすると、手元には約200円しか残らなかったという。しかもこれが1年間続いた。

「闘龍門」の校長、ウルティモ・ドラゴンから紹介される形で、2007年8月に新日本プロレスに入門。海外修業も経験し、2012年1月4日、東京ドームでの第3試合で、凱旋帰国試合に勝利。リングネームも「岡田かずちか」からオカダ・カズチカに変え、自らを、(団体に)金の雨を降らせる“レインメーカー”と称した。そして、前出のように、その日のメインでIWGPヘビー級王座歴代連続最多防衛に成功した棚橋の前に立ったのである。この時のやりとりは伝説化している。

「(棚橋さん、)お疲れ様でした! これからは逸材にかわってレインメーカーが新日本プロレスを引っ張って行きますんで、お疲れ様でした!」(オカダ)

「悪いな、オカダ。俺はな、生まれてから疲れたことがないんだ。言っとくけどな、IWGPは遠いぞ」(棚橋)

 この時は、オカダの方に大ブーイングが飛んだ。無理もない。凱旋前は一介の若手だったし、この日の凱旋帰国試合も5分とかからず勝利したが、相手は同じく凱旋帰国したYOSHI-HASHIで、数年ぶりに観る客には互いの実力の良し悪しがわからない。オマケにフィニッシュ技で出した「レインメーカー」も、この時は短距離で見舞うラリアットではなく、同じく短距離で見舞うフライングネックブリーカードロップだった。炸裂すると2人同時に倒れるわけで、遠目にはどちらにダメージがあるのかもわかり兼ねた。

 続く1月29日の後楽園ホール大会での「棚橋、内藤vs中邑、オカダ」も筆者は取材したが、新日本のリングが庭である3人にオカダが必死について行くという印象で、試合後にはまた大ブーイング。東京スポーツには、こんな異名で紹介された。

「ブーイング大魔王」

 冬木弘道に“理不尽大将”、小川直也に“暴走王”と名付けた東スポだ。その後も頻出させるつもりだったかも知れない。だが、このキャッチフレーズは、瞬く間に終わった。オカダが棚橋から、IWGPヘビー級王座を初挑戦で奪取したのだ。

 試合がおこなわれたのは、2012年2月12日の大阪府立体育館大会。棚橋の入場時、花道でファンが横断幕を掲げる。めくれた部分もあってよく視認出来なかったが、大意としてはこんなことが書いてあった。

〈棚橋こそが真のレインメーカーなんだよ!〉

「レインメーカー」=金を生む男と捉えれば、確かに、この時点では棚橋だった。だが、結果はオカダの完勝。試合も、コーナートップに上がった棚橋をドロップキックで場外に撃ち落とすという、驚くべき身体能力も見せた。“レインメーカー・ショック”として今も語られるほど、衝撃的な王座交代劇だった。

 約1ヵ月後。王者としての初防衛戦を後楽園ホールで取材し、驚いた。オカダは別人のように堂々としたレスラーになっていた。試合が止まりそうになると自身が長けている“ジャベ(メキシコ流関節技)”に入り、決して慌てない。最後のレインメーカーも炸裂の瞬間、自分が仁王立ちになる、ラリアット型に換えていた。アントニオ猪木が言った「立場が人を作る」という箴言や、1987年、天龍が大ブレイクした時期にブルーザー・ブロディが、その要因を分析した答えを思い出した。

「confidence(自信)だね」。

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