棚橋弘至「1・4東京ドーム」でオカダ・カズチカと激突! “100年に1人の逸材”に「こいつ、底が知れんなぁ」と言わしめた“レインメーカー”との全熱闘を振り返る
名勝負を重ねた二人
ベルトは4カ月後、棚橋に奪い返されたが、オカダはこの年、「G1 CLIMAX」に初参加で初優勝し、同年の「プロレス大賞」MVPも受賞。それは、初代タイガーマスクと並ぶ、25歳1ヵ月という歴代最年少の受賞であった。この時、ベストバウト(最高試合)賞も受賞したが、それは棚橋との一騎打ちであり、オカダが、逆に棚橋からIWGPベルトを奪い返された試合だった(2012年6月16日)。受賞時の棚橋のコメントから引く。
「嬉しいですね。最高試合は、戦った僕らで作り上げた物ですから。それにしても、自分が勝った試合で良かった(苦笑)」
翌年からの棚橋vsオカダの抗争は更に重みを増した。それは、IWGPヘビー級選手権であることはもちろん、東京ドーム大会で3度もメインを張る、至高の名勝負ヒストリーとなったのである。
先ず翌2013年の1月4日の東京ドーム大会で、「時代を変える」としたオカダを棚橋が返り討ち。「俺は、時代は変えるものではなく、動かして行くものだと思っています」とする棚橋に、観客は「棚橋最高!」のコールで応えた。3ヵ月後に再び挑戦して来たオカダに、棚橋は、「愛と金じゃ、愛が勝つんだよ!」と名言を吐いたが、この時はオカダに軍配(両国国技館)。2015年1月4日の東京ドームでも同一カードが組まれ、オカダが惜敗。オカダは結局、東京ドームのメインでは棚橋に連敗となり、大粒の涙を流した。翌年の1月4日も同じカードが組まれると、会見で棚橋は後がないオカダに言った。
「俺から言わせれば、“ドームの苦労は買ってでもしろ”ということ」
そうして、自分が初めて東京ドームのメインに名を連ねた10人タッグではさっぱり目立てなかったこと。NOAHの東京ドーム大会では技のミスを連発、他団体の多勢のファンの前での醜態に、「もう、自分が有名になって見返すしかない」と思ったことを語った。
そして2016年1月4日、遂にオカダが棚橋に勝利(保持していたIWGPヘビー級王座も防衛)。11歳差の2人。時代の趨勢も若いオカダに流れつつあった。2018年5月には棚橋が久々にオカダの持つIWGPヘビー級に挑戦。事前のオカダの舌鋒は鋭かった。
「もう“棚橋さん”じゃない! お前は“棚橋”だ!」
「会場観た? タイトルマッチの前哨戦なのに空席がある。誰も(棚橋には)期待してないんだよ!」
棚橋は負けた。IWGPヘビー級選手権は2021年に封印され、新たに認定された「IWGP世界ヘビー級選手権」でも王者オカダと棚橋は戦ったが、これにも敗れた。オカダは2024年1月、新日本プロレス退団を表明。文字通り、金の雨を降らせる選手に、海外団体から熱烈なオファーもあった。米国特許商標庁には、「レインメーカー」を商標出願した。オカダと棚橋の新日本所属上の対戦成績は、オカダの7勝5敗3分けに終わった(※若手の岡田かずちか時代含む)。
2024年2月、新日本との契約は切れていたが3試合だけ、オカダはフリーの立場として新日本のリングに上がっている。1つは12年前、まさに、“レインメーカー・ショック”を起こした大阪府立体育館(現エディオンアリーナ大阪)での柵橋との一騎打ちだった。日付けも2月11日と、1日しか違わなかった。勝利したオカダは、棚橋もいたバックステージで、意外な表情を見せた。勝ったのに、泣いていたのだ。
「やっぱりレインメーカーっていうのは、棚橋さんあってのレインメーカーだったと思うし……」
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