棚橋弘至「1・4東京ドーム」でオカダ・カズチカと激突! “100年に1人の逸材”に「こいつ、底が知れんなぁ」と言わしめた“レインメーカー”との全熱闘を振り返る
最後の一騎打ちは「1・4」
新日本プロレスの身売りからほどなく、IWGPヘビー級王者となった棚橋。流麗な技術に陽性の性格、甘いマスクと三拍子揃い、エースに持って来いだ。だが、人気は思うようには上がらなかった。当時のファンが、新日本プロレスの始祖であるアントニオ猪木に代表される“ストロングスタイル”なる、厳粛かつ殺気立った闘い模様を強く求めていたきらいもあった。今では代表的な決め台詞となった「愛してま~す!」に、観客がこう返したこともあった。
「愛してませ~ん!」
本人が言うには、2007年11月の後藤洋央紀戦で気付きを得たという。この日、棚橋はあられもない変身を遂げた。ガウンを新調したのだが、胸元にシースルーさながらのセクシーな網目が付いていたのだ。さらにコーナーポスト上で、それがことさら目立つようにうっとりとポージングしてみせる。当時を、こう振り返る。
「戦前に後藤が僕を、『チャラ男』呼ばわりしたんです。僕はビックリしてしまって。『ちょっと待て! 俺ってチャラかったのか!』と。そんなこと、自分では全然思ってなかったんで(苦笑)」
試合は、蹴りにラリアットと荒々しく攻め込む後藤に対し、棚橋が大袈裟にポージングしてからのサマーソルトドロップや急所打ちで対抗するという図式となった。
「なら、この試合は、後藤にカッコ良くなって貰おうと。僕がチャラいなら、もうそれでいい。自分は光らずに、相手の良さを引き出して、そちらを光らせればいいんだと。そうすることで、新日本が盛り上がって行ければ……」
気づくと、会場は大熱狂の渦と化していた。棚橋は“チャラ男”路線を貫き通す。1本指を立てての登場、スキップしての入場。そう恰好をつける一方で、試合は必ずしも自分の力を誇示するものではなくなっていった。しかし、知らぬ間に棚橋への一部の反感は消え、他にも有能な選手を有する新日本には、徐々に客が戻って来た。いみじくももう1人のライバルである中邑真輔が2015年、筆者のインタビューに、こう答えてくれた。
「僕は第1試合でも、会場を自分の色に染めたがるタイプ。それに対して彼(棚橋)のプロレスは、常に自分を殺して行く過程だった。僕とは真逆のタイプでしたね。いてくれて良かった。感謝してます」
また、オカダが、棚橋の強さの源泉について聞かれ、語ったことがある。
〈プロレス愛、じゃないですかね。本当に自分の身を削ってプロレスをしているなって〉(ベースボール・マガジン社『柵橋弘至デビュー20周年記念アルバムFLOW』より)
2024年2月12日、大阪での一騎打ちを終え、涙を流すオカダに、棚橋は優しく声をかけた。
「お前を誇りに思ってるよ。世界に、お前の凄さを見せて来てくれよ。そしたら俺も鼻が高いよ。『俺はオカダに勝ったことがある』って、皆に言いふらすから(笑)」
プロレスというジャンルの、不可思議な感動を思う。2026年1月4日、最後のプロレス愛の形を、リング上から受け取りたい。
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