山口崇さん、釜本邦茂さん、篠田正浩さん、吉田義男さん…2025年に逝った「すごすぎるアマゴルファー4人」が熱く語っていたこと
ゴルフ場で経験する悲喜こもごものドラマ
映画監督という仕事柄、長くクラブを握れない時期があるのは致し方ない。1990年8月に3回目のコラム登場となった時も、映画「少年時代」の制作を終え、1年ぶりにクラブを握った頃だった。ただしこの時は、久々だったことが逆によかったようで、好スコアや大会の予選通過を報告している。
〈映画の方はいずれ近いうちに遺言の映画を作らねばと思っているが、ゴルフでは60歳を前にして一つのクライマックスを作れるかもしれない。ともあれ、いまがぼくにとって上達できる最後の機会なのだ、と思っている。それにしても、スイングもパットもうまくいって、納得できる試合ができたというのに、なぜか夏の終わりのようなさみしさを感じてしまう。これ以上の盛りの時が来ないことに思い至るせいだろうか〉(1990年8月16日号)
篠田監督のゴルフ人生はまだまだ続くが、一方で人生を感じさせる出来事は増えていった。4回目の登場は1999年12月、映画「梟の城」の長いキャンペーンを終えた頃。
〈キャンペーンの旅が終わって、久しぶりに相模CCで70年続いているコンペ「GG会」に参加した。中山大三郎さんの賑やかな声が聞こえないなと思っていたら、がんと聞いた。70年も続いていると、あの世に行く人と残る人の悲喜こもごものドラマをゴルフ場で経験する。そのボーダーラインが見える場所でティーショットを打っているという思いがある〉(1999年12月2日号)
「無錫旅情」などで知られる作詞家の中山大三郎さんは、この年にがんを公表し、2005年4月7日に64歳で死去した。ゴルフ仲間がゆっくりと減っていく悲しみは、篠田監督はもちろん、ゴルフを嗜むあらゆる人が体験することだろう。
自分の力だけが頼りの孤独なゲーム
俳優と映画監督はゴルフに自分自身と人生を見た。では、スポーツ選手たちはどうなのだろう。他競技の一流選手にもファンが多いスポーツと言えば、ゴルフである。
〈初めてクラブを持って球を打った時、ハハン、これはインステップキックの応用編だなと思った〉(1984年9月27日号)
と語ったのは、当時40歳の釜本邦茂さん(2025年8月10日死去、享年81)。コラムには2回登場しており、この時はハンディ15だった。
〈足の甲がボールの中心にいつも当たるよう心掛け、蹴った後足首がぐらつかないようにする……これはそのままクラブのフェースにもいえることであった。クラブを足と思えば、なに簡単なことじゃないか。ところがどっこい、そうはいかなかった。長年の習慣とは恐ろしいもので、私の体には、サッカーではいつもフルショットをする習慣がしみついている。ドライバーを振ったら、アゲンストに関係なく、飛距離270ヤード〉(同)
あらゆる意味で、さすが日本史上最高のストライカー。さぞ豪快なショットだったに違いない。
〈ゴルフはサッカーのように、周囲に頼れる仲間がいるわけじゃない。自分の力だけが頼りの孤独なゲームだ。スコアをまとめるには、なにかなんでもフルショットの癖を直さなければだめだ。戦略的に私はとにかく大振りしないように努め、力を入れては打たないよう心掛け続けた〉(同)
団体競技のサッカーとはまた違ったプレッシャーや自分との闘いに、釜本さんはアスリートとして取り組んだようだ。
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