山口崇さん、釜本邦茂さん、篠田正浩さん、吉田義男さん…2025年に逝った「すごすぎるアマゴルファー4人」が熱く語っていたこと

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ゴルフという親友との友情に報いるため

 この時の山口さんは実際にハンディ6だった。続けて明かされた“ハンディ6への道”は驚くほどストイックである。

〈それを目指して、私は他のスポーツライフをすべて捨てた。以後、まず私が自分に課したのは、ひと月2000球を練習場で打つことであった。同時に、5分でも10分でも時間があればパッティングの練習をすべく、部屋の中に常時2、30球の球を置いておいた。台詞を覚えながら、頭が疲れるとじゅうたんの上で球を転がした〉(1986年5月15日号)

 テクニカル面の改善を続けつつ、大会にも出場していたが、年を重ねるごとにゴルフとの付き合い方は変化していった。最後のコラム登場は69歳の時。

〈互いにすべてをさらして向き合う私とゴルフの間には、当然のことながら、最高の友情が成立し、私は長いこと、ゴルフは私の親友と言っていた。その親友との友情に報いるために、強いゴルフがしたい。そう思って、足腰を鍛え、練習量も十分にとり、舞台のある時にも、朝早く練習場に通って、自分のゴルフを維持してきた。が、昨年、ちょっと体調を崩し、自分に甘くなった。朝の練習をすると、疲れが若干残って舞台に影響が出る〉(2005年12月1日号)

 レギュラーティーから打つようになった自分を〈正直情けない〉と嘆きつつも、

〈そんな私を、もう一人の私が「我をはらずに、楽しみ方を変えればいい」と囁き続けている〉(同)

 ゴルフを通じて対話していたのは、なにより自分自身であった。

ゴルフは自業自得を楽しむスポーツ

 芸能界ではもう1人、映画監督の篠田正浩さん(2025年3月25日没、享年94)が名ゴルファーだった。コラム登場回数は山口さんに並ぶ4回。初登場は1985年2月、53歳の時だが、久々のラウンドで全治3週間の大けがを負った話から始まる。その前年、映画「瀬戸内少年野球団」の制作でゴルフから離れていたことが災いしたという。

〈その間、ゴルフはまかりならぬという。しかし、私は医者には内証でその4日後には千代田CCを回っていた。足は痛むし距離は出ない。いつもの3分の1にしかならない飛距離を、アイアンを2番ぐらいずつ多くしてカバーしたが、1番ホールでは案の定、ひどいOBが出た。ところが、2、3ホール回るうちに、私はゴルフの初歩的なスイングをもう一度自分のものにし始めているのに気付いた〉(1985年2月7日号)

 まさに怪我の功名。次のコラム登場は1989年6月、映画「舞姫」の制作を終えて1年ぶりにクラブを握った頃だった。〈勝負の鬼になれなかった〉こともあって、早大陸上部OBの関東・東海・関西3地区対抗大会で完敗してしまったという。

〈その昔、(小説家の)五味康祐さんがぼくの手相をみて、「他人を幸せにする人」と言って下さったのを、これまたうらめしく思い出した。女房に対しては、たびたびこの言葉を利用させてもらったが、まさかゴルフで敵に塩を送るような形で、この言葉が現実となってしまうとは。ゴルフは自業自得を楽しむスポーツだと思うから、トラブルも、うまくできなかった時も楽しんでいるつもりだが、今回のような場合は別である〉(1989年6月29日号)

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