“遠慮”と“謙遜”はいまも日本人の美徳か…褒められたら笑顔で「ありがとうございます!」と返す若者が清々しいワケ
日本人が有する美徳の一つとして「遠慮」が存在する。例えば誰かからお土産をもらったり、車で送迎してもらったり、ご馳走になったりする場合、「いえいえ、そんな申し訳ございません!」と一旦お断りをすることである。電車内で立っている高齢者に、座っている若者が席を譲ろうとしたら、大抵「いえいえ、もうすぐ降りますから!」と言われたり、むしろ仏頂面の不快感95%で無言のまま顔の前で手を振られたりすることがあるが、これもやはり「遠慮」であろう。【取材・文=中川淳一郎】
【写真】偶然買えたら超ラッキー お土産にも大人気の鎌倉銘菓「クルミっ子」
つまらないものですが
席を譲ろうとした人間からすれば、そのような反応をされたら気まずくなってしまい、隣の車輛に移ったりする。他者に対し、何らかの善意を行う人は、その善意を気持ちよく受け取ってもらいたいのに、日本人の「遠慮する」特性がそれを邪魔するのだ。だが、最近はその傾向が減っているのではないかと感じている。
この数年、「ごちそうになりまーす!」や「もらえるものは何でも欲しいです!」といった声に触れる機会が格段に増えた。与える側からすると、遠慮されるよりもこのような反応が嬉しいのだ。
日本人は自身を貶めることで謙遜・遠慮をしてきた面がある。お土産を渡すときに「つまらないものですが」と言うのが最たるものだが、最近はほとんど耳にしない。コンプラの問題もあってか、夫であり父親である男性が「ウチの愚妻が」や「ウチの豚児が」などと妻や息子を低く表現することもなくなった。
これは社会にとって本当に良いことではなかろうかと思う。神奈川県鎌倉市の銘菓に「クルミッ子」がある。神奈川県に住む会社経営者のI氏は、私と会うたびにこのお菓子を持ってきてくれる。何しろ私の妻がこのお菓子が大好きなのだ。同氏からもらったと妻に報告すると「うわー、Iさん大好き!」と言い、I氏と会う時も「いつもクルミッ子をありがとうございます! 毎回楽しみにしています」とお礼をする。
I氏にしても、彼女に喜んでもらうべく行列に並んで購入してくれるのだが、その苦労を我々も分かっているだけに、猛烈に感謝の気持ちを伝えるのだ。
かつて某人気芸人の母親が生活保護を不正受給していたことが明らかになったことがある。もちろん、お土産や知人からのご馳走は不正とは関係ない。だが、「もらえるものはもらっておけばいい」という感覚が人間関係で発生するのは健全ではなかろうか。
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