「80社受けて全滅」元NHK・43歳アナが明かす壮絶な「就職留年」 募集なしの放送局に“直談判”してつかんだ異例の内定

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アナウンス教室へ

 その人から「技術とか勉強したら自信がつくから、アナウンス教室に通ってみたら?」とも言われて、実際に広島市内のアナウンス教室に通い始めました。原稿を読むのが楽しかったことに加えて、まわりに本気でアナウンサーを目指している人たちがたくさん集まっていて、「夢は自分で選べるんだ」「アナウンサーを目指す人がこんなにいるんだ」という驚きがありましたね。

 そのころから、「読むのが好き」だし、「私もアナウンサーになりたい」という思いが強くなっていきました。テレビの世界の人がすごく、自信を持っているようにも見えたんです。だから、私もアナウンサーになったら、自信を持ったキラキラした人になれるかもしれないと思いました。

 それで、アナウンサーを目指して、就職活動を始めましたが、なかなか上手くいきませんでした。全国の放送局80社ちかくを受けました。でも、地方の理系大学では、エントリーシートすら通らないんです。関東の有名大学の学生がたくさん受ける中で、スタート地点から厳しかったですね。ほとんど面接にも進めませんでした。

 結局、大学4年の時は内定が一つももらえず、就職留年をしました。

 留年中は、エントリーシートの書き方や面接の対策をやり直しました。面接対策では、何を聞かれてもスラスラと答えられるようになるまでやりましたね。その甲斐あって、2度目の就職活動では徐々に最終面接に進めるようになり、最終的には青森朝日放送一社だけ内定をいただくことができました。

 実は当時、青森朝日放送は新卒を募集していなかったんです。それでも、「新卒は募集していないと思いますが、やる気はあります!」と書類を送ったところ、特例で採用してくれました。執念のような熱意が受け入れられたのかなと思います。

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 第1回【「最初はお断りするつもりが…」元NHKの43歳アナ、週プレで見せた“究極の美ボディ”】では、竹中さんがグラビア登場への思いなどを語っている。

竹中知華(たけなか・ともか)
1982年、広島県呉市出身。青森朝日放送などを経て、2008年からNHK沖縄の契約キャスター。15年にフリーに。17年、ラジオ沖縄に入社。現在、「華華天国」でパーソナリティを務める。

デイリー新潮編集部

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