「80社受けて全滅」元NHK・43歳アナが明かす壮絶な「就職留年」 募集なしの放送局に“直談判”してつかんだ異例の内定
竹中知華アナ・インタビュー
水着グラビアが話題となっている、元NHK沖縄のキャスターで、現在はラジオ沖縄のアナウンサー・竹中知華さん(43)。広島県呉市の出身で、大学まで地元・広島で過ごした。もともと、内気な性格だったというが、なぜアナウンサーを目指すようになったのか。(全4回の第2回)
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【写真】エントリーシートの写真も…アナウンサーを目指した大学時代。グラビアで披露した43歳“究極の美ボディ”も
広島県呉市で生まれました。田舎育ちで、小さい頃は外で楽しく遊ぶ活発な子どもでした。中学では、陸上部に入りました。小学生の頃から足が速かったんです。田舎の一クラスしかない学校で、女子の中では一番でした。種目は100メートルと200メートルの短距離をやっていました。
高校では、山岳部に入りました。自然が好きだったので、「みんなで山登りしたら楽しそうだね」というノリで決めました。このころは、姿勢も悪くて内気で、目立たずにいようとしていました。
中学、高校時代は、部活を一生懸命やったりとか、特に何かを夢中で追いかけたりするようなタイプではありませんでしたね。
高校卒業後は、広島工業大学に進学しました。電子光システム工学科という理系の学科です。勉強は得意ではありませんでしたが、答えが出るものが好きで、理数系の科目が得意だったので受験した感じです。得意な分野を学んでいけば、そのうちやりたいことが見つかるだろう、という思いでした。
サークルは「グリークラブ」に入って、アカペラをやっていました。当時、「ハモネプ」(フジテレビ系バラエティ番組「ハモネプリーグ」)がはやっていたんです。みんなで部室に集まって歌っていました。やっぱり、表現することが好きだったんでしょうね。
理系だったので、100人のクラスで女子は3人しかいませんでした。サークルには女子が2人だけ。モテ期があるとしたら、その当時でしょうね。注目されている実感はありました(笑)。女子というだけで、教授もすぐに名前を覚えてくれました。
アナウンサーを目指すきっかけになったのは、大学時代にしていたイベントコンパニオンのアルバイトでした。ティッシュや試供品を配ったりしたんですが、イベント会場には必ず司会者の方がいました。その司会の方が、とにかくキラキラと輝いているように見えたんです。
ある時、アルバイトの帰りにその司会者の方と一緒になって、「憧れています」と伝えたら、「竹中さんも、姿勢を良くして笑顔を作れば、もっと輝けるよ」と言われて、すごくうれしかったんです。
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