米兵の遺族にも“軍神”の愛人にも取材を尽くす…『滄海よ眠れ』澤地久枝さんが“私は「鬼」であった”と語った理由

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「終戦80年」だった2025年。出版界でも、多くの関連企画が登場した。そのなかで、10月に復刊した。澤地久枝さんの『新装版 滄海(うみ)よ眠れ ミッドウェー海戦の生と死』全五巻(毎日文庫 以下、『滄海よ眠れ』と略称)は、戦争ノンフィクションの金字塔と称されてきた名作だ。

 澤地久枝さん(1930~)は、『妻たちの二・二六事件』『密約 外務省機密漏洩事件』『火はわが胸中にあり 忘れられた近衛兵士の叛乱・竹橋事件』など、昭和史の重要事件を、綿密な取材と独自の視点で描きつづけてきたノンフィクション作家である。『滄海よ眠れ』『記録 ミッドウェー海戦』で、第34回(1986年)菊池寛賞を受賞している。改めて、復刊された今作の魅力を探りたい。(全2回の第2回)

覆された〈運命の5分間〉

『滄海よ眠れ』の重要な第二点目は、ミッドウェー海戦にまつわる、いくつかの“通説”に踏み込んでいることだという。元週刊新潮記者で、現在60代後半のA氏の話。

「そのなかでも、特に〈運命の5分間〉説を覆したことが話題になりました。〈運命の5分間〉とは、ミッドウェー海戦を語るうえで、必ず登場するキイワードです。要するに、日本側の空母は、攻撃の態勢が整わないうちに被弾し、結局、主力空母4隻を失ってしまった。あと5分早く発進していれば一斉反撃もできて、間違いなく勝利できた――というわけです。これが、戦後も、特に海軍OBたちの間では、“定説”となっていました」

 しかし澤地さんは、残された「戦闘詳報」など、関連資料を丹念に読み込み、さらに関係者への取材を重ね、この“定説”がまちがいであることを記している。それは、今回の新装版文庫でいうと、第二巻〈第四章 空母「蒼龍」艦橋〉の部分だ。

〈それにしても、この「戦闘詳報」以外には、時間を追っての経過概要を書きのこした資料はない。個人のメモや日記類をたくさん見せていただいたが、(略)つきあわせをすると、かならず矛盾がみつかる。(略)/作戦全体を統括する記述には行間に「遺憾」という文字がチラチラし、しかも「憤懣」の感情がにじみ出てきそうである。〉

「サンデー毎日」連載中、〈運命の5分間〉説への異議が発せられると、“旧海軍派”から、轟然たる反論が巻き起こり、論争となった。

「この件だけでなく、澤地さんは、知られざる“事実”を明るみにすることで、“歴史の暗部”に踏み込んでいます。たとえば、第三巻〈第十二章 嵐のあと〉では、海戦で日本側に捕らえられた米兵捕虜が〈生きてこの海域を出ることはなかった。〉と記しています。では、彼らはどうなったのか……」

 こういった“スクープ”が続々と明かされ、そのたびに新聞の投書欄には、澤地さんを“非難”する声があふれた。しかし澤地さんは、それらの声に、ひとつひとつ真摯に向き合い、“反論”を繰り返した。その過程も、第三巻に細かく記されている。

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