高市首相の「働いて働いて…」が炎上した日本の経済を再生させる方法(古市憲寿)

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 2025年の流行語大賞の一つに「働いて働いて働いて働いて働いてまいります」が選ばれた。高市早苗首相が、自民党総裁に選出された直後の発言だ。有言実行なのか、初の衆議院予算委員会を控えたタイミングでは午前3時から秘書官と公邸入りし勉強会を行ったことが話題になった。

 働きたい人が働くのは自由である。特に総理大臣に「8時間労働」など一般労働者のような働き方を求めるのは間違っている。戦争が起きた時に「インターバル規制のため出勤できません」なんて言ってられない。

 だが気になったのは朝3時出勤の理由。何でも首相によれば、宿舎に備え付けのFAXが10枚ほどで詰まってしまうので、必要な答弁書を受け取れなかったという。ただの方便なのかもしれないが、本当なら、国の最高権力者がFAXの性能が理由で深夜に移動していたことになる。21世紀とは思えない異常事態だ。

 FAXが安全だと勘違いしている人がいるが、半分うそである。確かにインターネットは経由しないが、誤送信のリスクがあるし、電話線を物理的に傍受される危険性もある。仮に暗号化されていてもただの紙は、盗まれたら終わりだ。少なくとも、行政専用の閉鎖ネットワークを用いるなど、FAXよりも安全で便利な情報伝達手段はいくらでも存在する。

 首相の「働いてまいります」発言や、朝3時出勤は賛否両論だったように思う。働きたい人が法律のせいで労働を制限されるのも、働きたくない人が無理やり長時間働かされるのも、どちらも問題である。だがどちらの立場を採るにしても、この国の労働現場にはあまりにも無駄が多過ぎる。

 デンマークに移住したジャーナリスト井上陽子さんの『第3の時間』(ダイヤモンド社)という本を読んだ。デンマークは世界競争力ランキングで1位にもなった国(2025年は4位、日本は35位)。特段の資源もない、人口600万人の小国である。しかも標準労働時間は週37時間。一体どんな秘密があって、その競争力を実現しているのか。

 井上さんの本を読む限り、特別なことは何もない。「まあ、その方がいいよね」ということをきっちりこなしているだけだ。企業単位では「上司が全てを抱えない」「稟議書にハンコなどという文化がないので意思決定が早い」、労働市場レベルでは「ダメな会社や産業を保護しない」「労働者を解雇しやすくする代わりに、労働訓練を充実させる」、国単位では「徹底的にデジタル化を進める」。どれも日本でも議論されていることばかりだ。

 そう、答えは出ている。日本経済の再生は、一人ひとりが長時間働くことではなく、仕組みを変えることで実現する。社会制度を変えるには、途方もない時間と労力がかかるから、そのために首相が働くというのなら応援するしかない。しかし朝3時出勤になった理由が本当にFAXだとしたら、まずはゆっくり休んで、頭を冷やしてほしいと伝えたい。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍。他の著書に『誰の味方でもありません』『平成くん、さようなら』『絶対に挫折しない日本史』など。

週刊新潮 2025年12月25日号掲載

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