「天皇陛下重体」自粛の中で迎えた“昭和最後のクリスマス” ケーキ・ホテル業界が編み出した苦肉の策とは「メリーの文字を削除」「スイッチ1つで電飾消灯」
実は“ハロウィンPR”もお流れに
徐々に盛り上がるクリスマスムードは季節の風物詩だが、過去にはこの“盛り上げ方”に日本中が頭を抱えた年があった。昭和63年(1988)年のクリスマスである。この年の9月下旬から昭和天皇のご容体が深刻なものとなり、日本国民の不安と悲しみは自粛ムードとして街中に現れていた。
そこで難しい対応を迫られたのが、クリスマス商戦の主役となる業界の面々である。洋菓子、ホテル、テーマパーク、映画、コンパニオン、ナイトクラブ……未曾有の状況を前に、各業界はどのような判断を下したのか。実は当時まだ“ブレイク前夜”だったハロウィンも、自粛により菓子業界のキャンペーンがお流れになっていたという。結果的に昭和最後となったこの年のクリスマスを、当時の「週刊新潮」掲載記事で振り返る。
(以下、「週刊新潮」1988年12月15日号「追いつめられたクリスマスケーキの命運」を再編集しました)
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【写真】皇居前にはご病状を案じる人の波…昭和最後の日々を振り返る
装飾や音楽を抑制
果たして今年は、クリスマスケーキが売れるや否や――。この予想もしなかった難問には、大方の洋菓子メーカーが頭を抱え込んでしまったようだ。
有名洋菓子メーカーの幹部が「追いつめられた洋菓子業界」の模様を話す。
「大手業者の一部にはすでに、自粛の申し合わせがムードとしてできている。例年に比べてどの店も装飾や音楽を抑制しているはずですよ。ケーキに入れる文字も、メリークリスマスの“メリー”を取ろうなど、なんとなく決めているのです。ただ、パッケージや包装紙は夏場に作ってしまった業者が多いですから、赤や白のカラフルな文字で書いてある。まずいかなあ、とは思っていますが、どこも目をつぶって使っているんです」
洋菓子業界はさる10月31日を「ハローウィン・デー」(編集部注:ハロウィン)なるものに決め、カボチャのケーキやキャンデーをプレゼントし合おうという虫のよい大宣伝を、子供向けに展開する作戦をたてていたという。ところが、その直前の9月19日に天皇陛下が吐血され、業界ぐるみの一大キャンペーン作戦は無期延期となった。
別の大手ケーキメーカーもいう。
「私どもの商売は、イベントを催していないと成り立たないところがある。なかでもクリスマスはダントツのお祭りですよ。お客様から“今年はクリスマスパーティーをやってもいいのか”という問合せがあるくらいですから、ケーキの売れ行きに影響がでるのは覚悟しています。ジングルベルのBGMや、店員の呼び込みもできるかどうか分からない。世間の流れを見ながら、不自然に映らないスタイルで行こうと思っておりますから」
クリスマスカラーを金と白に
クリスマスはホテルにとっても稼ぎ時である。名のあるホテルはどこも人気タレントを呼び、大広間を使ってディナーショーを開くが、今やそれも薄氷を踏む思いなのだ。
まずは、帝国ホテルの話。
「うちは、22日に峰さを理、23日に井上順、24日に服部克久のディナーショーを予定していますが、すでにほとんど予約でいっぱいになっています。9月と10月には企業パーティーの予約が多かったので、自粛といいましょうか、キャンセルが相つぎました。しかし、クリスマス・シーズンは、ディナーショーを中心に家族や友達レベルの予約が中心ですから、陛下のご病状とはさほど関係なさそうです。あまり派手にクリスマスをやるのは憚られますが、利用客には外国の方も多い。彼らにとってクリスマスは大事な宗教的行事ですからね。なるべく例年通りに迎えるつもりなんです」(広報室)
が、ホテルニューオータニの話を聞けば、ホテルマンにとっても深刻であることが分かる。
「ディナーショーを“今年もやるのか”という問合せがずいぶんありましたね。万一のことが起こらないかぎりは開く姿勢で準備を進めていますが、館内のデコレーションはかなり地味なものにいたしました。大きなツリーはなしにして、館内BGMも例年の12月は9割がたクリスマスソングですが、今年は1、2割に。クリスマスカラーも金と白に切り替えました。全体的にお正月のような静かな雰囲気になっています。和風クリスマスといったところです」(広報担当者)
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