掃除ロボット「ルンバ」は、どうして「賢い動き」ができるのか――「単純な脳」を真似した人工知能が大成功した理由
掃除ロボット「ルンバ」を手がけた米アイロボット(iRobot)が破産申請をした。
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「ロボットが自律的に動き回る」という体験を初めて日常に持ち込み、世界中の過程に掃除ロボットを広めた存在が、いま大きな転機を迎えているのだ。
だが、そもそもルンバは、なぜあれほどまでに「賢く」見えたのか。それは、考えていないのに、目的をもって動いているように見えたからだ。
高度な地図作成や複雑な判断を行っていたわけではないにもかかわらず、多くの人がその動きに知性を感じた理由はどこにあったのか。
AI起業家だったマックス・ベネット氏は、あるとき「脳の進化を学ぶことが、優れたAIを創り出す最短コース」だとの確信を得て、脳の研究に向かいました。
そして研究を進める中で、世界で最初に商業的成功を収めたルンバには、初めて脳を持った動物(左右対称のボディプランを持つ「左右相称動物」)と驚くべき共通点があることに気づいたといいます。
以下、ベネット氏の著書『知性の未来:脳はいかに進化し、AIは何を変えるのか』(恩蔵絢子訳)から、一部を再編集して紹介します。
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周囲を関知し、動き回るために知能は生まれた
1980年代から90年代にかけて、人工知能コミュニティには分裂が生じた。一方にいたのは記号的AI陣営、すなわち人間の知性を構成要素に分解し、人間が最も大切にしてきた技能である理性、言語、問題解決能力、論理をAIシステムに吹き込もうとする人々である。
これと対立していたのが、マサチューセッツ工科大学(MIT)のロボット工学者ロドニー・ブルックスを中心とする行動的AI陣営である。彼は記号的アプローチは失敗する運命にあると信じていた。「よりシンプルなレベルの知性に関し、我々がいろいろとやってみない限りは、人間レベルの知性を構成要素に分解する方法などわかるはずがない」と。
ブルックスの推論は進化に基づく部分もあった。生命が単に環境を感知し反応できるようになるまでに数十億年かかっている。そして脳が運動能力を獲得し空間移動をうまくできるようになるまでには、さらに5億年という進化のいじくり回しの時間が必要だった。こうした苦労の末に初めて言語や論理が登場したのである。
ブルックスによれば、感覚と運動が進化するのにかかった時間に比べれば、論理と言語は瞬く間に出現した。彼はこのように結論づける。「言語も……理性も、存在することと反応することができるようになれば、非常に簡単に獲得された。知性の本質は、必要な生命維持と繁殖ができるように周囲を感知して、時間的に変化する環境の中で動き回る能力である。知性のこの部分は、進化がその時間を集中的にかけたところであり、それをつくることのほうがはるかに難しい」。
■より単純なものから始める
ブルックスに言わせれば、人間は「人間レベルの知性が存在することを証明したが、そこから何が学べるかということについては注意しなければならない」。この説明として、彼はある比喩を提示した。
今が1890年代だとしよう。人工飛行が科学、工学、ベンチャーキャピタルの人々の間で注目を集めている。人工飛行の研究者たちがタイムマシンで奇跡的に1980年代に数時間だけ行くことができたとする。彼らは中距離飛行をしている民間旅客機ボーイング747の客室で過ごす。壮大なスケールでの人工飛行が可能であることを知り、1890年代に戻った彼らはやる気に満ちている。彼らは目にしてきたものをすぐに再現する作業に取りかかる。一定の間隔で並んだ座席や二重窓をデザインするというところでは非常に進歩する。彼らは奇妙な「プラスチック」が何からできているのか解明しさえすれば、「飛ぶ」という聖杯を手にすることができると確信しているのだ。
シンプルな飛行機を「すっ飛ばして」、直接747をつくろうとしてしまえば、彼らは飛行機がどのように飛ぶかという原則を完全に誤解する危険性があるということだ(一定の間隔で並んだ座席や窓ガラス、そしてプラスチックというのは、まったく注目すべきものではない)。
ブルックスは、人間の脳をリバースエンジニアリングしようとするアプローチもこれと同じ問題を抱えていると考えていた。より良いアプローチは、「知的システムの能力を段階的に高めていき、各段階がそれぞれ完成したシステムになっている」ことであるという。つまり、進化がそうであったように、単純な脳から始めて、そこから複雑さを加えていくのである。
ルンバの単純な脳
ブルックスのアプローチに同意しない人も多い。しかし彼の意見に賛成であろうとなかろうと、商業的に成功した家庭用ロボットを最初につくったのはロドニー・ブルックスであるということは確かなのだ。そして、商業用ロボットの進化におけるこの最初の一歩は、脳の進化における最初の一歩と類似している。ブルックスもまた操縦※から始めたのだ。
※操縦……左右相称動物による移動の方法。餌の匂いのする方に向かい、捕食者から遠ざかるように舵を取る。
1990年、ブルックスはロボット会社「アイロボット(iRobot)」を共同設立し、2002年に掃除用ロボット「ルンバ」を発表した。ルンバは家の中を自律的に動き回り、床を掃除するロボットで、たちまち大ヒットした。現在も新モデルが生産され、アイロボット社は累計4000万台以上を売り上げている。
初代ルンバと初代左右相称動物には、驚くほど多くの共通点がある。両方とも、本当に単純なセンサーしか持っていなかった。初代ルンバは、壁にぶつかったときや充電台に近づいたときなどを検知できるだけだった。そして両方とも、単純な脳を持っていた。すなわちどちらも受け取ったわずかな感覚入力を使って環境地図をつくったり、物体を認識したりはしなかった。両方とも、左右対称であった。すなわちルンバの車輪は前進と後退しかできなかった。方向を変えるには、その場で旋回してから前進を再開する必要があった。
ルンバはランダムに動き回り、障害物にぶつかるとそれから遠ざかるように向きを変え、バッテリーが少なくなると充電ステーションに向かって進んでいくことによって、床の隅々まで掃除することができた。ルンバは壁にぶつかると、ランダムに向きを変えて再び前進しようとした。バッテリー残量が少なくなると、充電ステーションからの信号を探し、信号を検出したら、信号が最も強い方向に向きを変えれば、充電ステーションまで戻ることができた。
「安価」「機能」「単純」の3要素
ルンバの空間移動戦略と初代左右相称動物の空間移動戦略は完全に同一というわけではなかった。しかし、最初に成功した家庭用ロボットが、最初の脳とそう変わらない知性を備えていたのは偶然ではないのかもしれない。どちらも複雑な世界を、理解したりモデル化したりすることなく、移動していくことができる技を使っていた。
研究室に閉じこもって、何百万ドルというお金をかけて、目や触覚や脳を備え、複雑な計算をして環境を把握し動くロボットを開発している人たちがいる一方で、ブルックスは、感覚器をほとんど持たず、ほとんど何も計算しない、可能な限りシンプルなロボットをつくった。しかし、進化と同じように市場も、三つのものに何よりも価値をおいたのだった。「安価」なもの、「機能」するもの、そしてそもそも人の目にとまるほどに「単純」なものである。
操縦は、他の知的偉業のように畏敬の念を抱かせるものではないかもしれないが、エネルギー的に安く、きちんと機能し、進化的ないじくり回しでそれができるほどに単純であったことは確かである。脳はここから始まったのだ。
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ルンバが見せた「賢さ」は、膨大な情報処理や精密な地図によって生まれたものではなかった。むしろそれは生物が長い進化の過程で獲得してきた、きわめて古く、合理的な知性の延長線上にあったのである。
【関連記事】〈なぜ私たちの身体は左右対称なのか――AI起業家が辿り着いた脳と身体の「驚くべき関係」〉では、生き物が空間を移動するために必要だった条件と、左右対称の身体、そして脳の誕生との関係を紹介している。
※本記事は、『知性の未来:脳はいかに進化し、AIは何を変えるのか』(マックス・ベネット著、恩蔵絢子訳)を再編集したものです。










