「プーチンの歌姫」と非難された世界的オペラ歌手「ネトレプコ」が“本格復帰”…圧倒的な歌唱で魅せる「トスカ」の舞台映像が1週間限定で上映へ

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ネトレプコ、圧倒的名演

「もう、言葉を失うほどの素晴らしさでした。ネトレプコの決意と度胸に、涙が出ました」

 かなり興奮さめやらぬ様子である。しかしまず、オリバー・ミアーズによる新演出について。

「このオペラは、3幕とも実在するローマ市内の施設が舞台ですが、時代設定を、1800年から、近現代に移しています。第1幕は、聖アンドレア・デッラ・ヴァッレ教会の中。ところが、内部が破壊されているのです。幕間のスタッフ・インタビューによると、長距離ミサイルの攻撃を受けたんだそうです。後半では、住居を失ったとおぼしき避難民がなだれ込んできて、爆音が響き、煙が舞い上がります。これ、どう見ても、ガザ地区か、ロシアの攻撃を受けているウクライナを想像してしまいます」

 もちろん、これがウクライナ侵攻をイメージしているというような説明は、おおやけには、一切ない。

「第2幕のファルネーゼ宮殿(現フランス大使館)、トスカに関係を迫るワルの警視総監スカルピアは、ズボンのベルトを外しかけて、レイプ寸前の行為に及びます。かなりの独裁者ぶりが強調されており、考えすぎかもしれませんが、プーチン大統領を模しているような気が、しないでもありませんでした。これに対し、トスカはついに我慢できずに、スカルピアを卓上のナイフで刺殺するのが、一般的な演出です。しかし今回は、別の意外な方法で殺害するのです。ここは、『トスカ』をご存じの方だったら、ちょっと驚くでしょう」

 そして第3幕は、有名な観光名所、サンタンジェロ城の屋上で、最後にトスカは、ここから投身自殺をはかって幕となるのだが……。

「幕が上がったら、ここも驚く方が多いと思います。あえていいませんが、少なくとも城の屋上ではなくて、“室内”なのです。では、どういう部屋なのか。ここで、どうやって、処刑や投身自殺がおこなわれるのか――実際にスクリーンで観るまでの、お楽しみとしておきましょう」

 というわけで、肝心のネトコは、どうだったのか。

「圧巻のひとことです。正直いうと、見事な体格に“変貌”していました。マツコ・デラックスを二回りほど小さくしたようでした。METに出演していた最後のころから、そうなりつつありましたが、この数年間、かなりのストレスだったのではないでしょうか。これ以上“変貌”したら、役柄が限定されるであろうと思われる、ギリギリのところまで来ています。しかし、そんな外見などはどうでもよくなる、見事な演技と歌唱でした」

 トスカといえば、第2幕でうたうアリア「歌に生き愛に生き」が有名で、最大の聴かせどころである。

「恋人を助けるために、スカルピアの言いなりにならねばならないことを嘆くアリアです。〈わたしは、ただ歌を歌い、神への愛に生きてきただけです。悪いことは、一度もしていません。貧しいひとたちに、施しもしてきました。なのに神よ、なぜこのような報いを受けるのですか〉――これは、まさにここ数年のネトレプコの心情そのもので、歌と彼女の身の上が重なり、尋常でない感動に襲われます。もちろん、声も十分に伸びて、しっかりした歌唱です。要するに、トスカを演じることが、彼女の、現在の態度表明だったのです。アリアで爆発的な拍手とブラボーを浴びても、彼女は泣きません。毅然とした表情のまま、客席を見つめています。すごい女性だと思いました。そのあと、独裁者スカルピアを殺害するシーンでも“見なさい、これがわたしの本心よ”といわんばかりの演技を見せます」

 ネトコのファンだったら、ご存じだろう。彼女は昨年、テノール歌手の夫、ユシフ・エイヴァゾフと離婚した。エイヴァゾフは、アゼルバイジャン出身で、現在、同国の国立歌劇場総監督もつとめている。ところが、アゼルバイジャンは、ウクライナを支援する一方、ロシアとも関係を保つ、一種の“バランス外交”をつづけている。そういう国の夫がいると西側での活動が制限されるので、ネトコは離婚を決意したのでは……と見る向きもあるようだ。

「残念ながら、今回の映像には、いつものような出演者インタビューはナシで、スタッフ・インタビューだけです。ネトレプコの話も聞けませんし、司会者も、ほかのスタッフも、一切、微妙なコメントは口にしません。それだけに、ちょっとモヤモヤしないでもありませんが、終演後のカーテンコールでは熱狂的なブラボーです。聴こえなかったのかもしれませんが、ブーイングもなかったような気がします。ここでも、彼女の堂々とした態度は、実に感動的でした。“同情してくれなくて、けっこう。わたしはわたしの道を行く”といっているようでした。今回のRBO出演で、彼女は、見事な“本格復帰”をとげたと思います」

 あらためて述べるが、この映像「英国ロイヤル・バレエ&オペラ in シネマ 2025/26」の「トスカ」、日本では12月19日(金)~25日(木)、TOHOシネマズ日本橋ほかで、1週間のみの限定上映である(配信は、ない)。ぜひ、METのゲルブ総裁にも、ご覧いただきたいものである(劇場や時間などの詳細は、公式HPで確認を)。

富樫鉄火(とがし・てっか)
昭和の香り漂う音楽ライター。吹奏楽、クラシックなどのほか、本、舞台、映画などエンタメ全般を執筆。東京佼成ウインドオーケストラ、シエナ・ウインド・オーケストラなどの解説も手がける。

デイリー新潮編集部

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