前代未聞の“ストレス料”を要求した名投手も…契約更改で出た「珍要求」や「珍要望」にファンが驚愕!

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 プロ野球の契約更改もたけなわ。選手の立場としては、少しでも希望額に近づけるよう、あの手この手を使って球団側を説得したいところだ。そして、過去の契約更改では、思わずビックリの珍要求や「なるほど」と頷けるような“珍要望”が話題になったことも少なからずあった(金額はいずれも推定)。【久保田龍雄/ライター】

うーん、ビックリした

 前代未聞の“ストレス料”を要求したのが、巨人エース時代の西本聖だ。1987年、通算4度目の開幕投手を務めた西本は、4月10日の開幕戦で星野仙一新監督率いる中日を4安打完封し、4月のロケットスタートを演出、結果的にチームの4年ぶりVにつなげる役割を果たした。

 だが、夏場に右肘を痛めるなどして、シーズン成績は8勝8敗、防御率3.67と今一つだった。

 それでも西本は「チーム事情で先発、中継ぎとしてフル回転した貢献度を買ってほしい。開幕試合の勝利は3勝ぐらいに当たるはず」と、数字では見えない部分の評価を求めていた。

 また、前年に皆川睦雄投手コーチとの確執から、罰金200万円を科せられ、「2度とトラブルは起こさない」と約束させられたことで「野球以前のことで、シーズンにかけて精神的な負担がかかっていた」として、12月22日の1回目の交渉では“ストレス料”も要求。「(今年は)トラブルを起こさなかったんだから、200万円は返してほしい」と訴えた。

 これに対し、球団側は「開幕試合も1勝は1勝」「ストレス料と言ったって、仕事はみんな我慢して成り立っている」という見解を示し、3900万円から500万円増の4400万円を提示した。

 5000万円程度を希望する西本は当然査定に納得できずに越年すると、翌88年1月11日の2度目の交渉でも100万円上積みの4500万円を「希望額とあまりにも差があり過ぎる」と保留した。

 だが、同18日、3度目の交渉で球団から前回と同じ4500万円を提示されると、「2度目に積み上げてくれた100万円は要りません」と、最初に提示された4400万円でサインした。

「僕は13年間球団に尽くした貢献度、“巨人の西本”としてのプライドを理由に最初の提示に上積みを求めた。でも、その100万円は、あくまでも去年の8勝に対するもの。それでは要らない」という理由からだった。これには岩本堯1軍査定担当も「こちらより低額なんて。うーん、ビックリした」と目を白黒させた。

“ストレス料”に始まり、最後は自ら減額……稀有な存在として、オフシーズンの新聞紙面を賑わせた西本だったが、同年オフ、トレードで中日に移籍し、これが巨人で最後の契約更改となった。

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