平成男子のミューズ・宮崎あおい 同じ「透明感」でも広末涼子とは何が違う?

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 今年4月、静岡県掛川市の新東名高速で追突事故を起こし、今もなお芸能界復帰のめどが立っていない広末涼子(45)。ライターの冨士海ネコ氏は、広末と同じく「透明感」が武器だった女優の宮崎あおい(40)と比較しながら、二人の「明確な差」について分析する。

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 平成という時代を象徴する「透明感」の二枚看板といえば、広末涼子さんと宮崎あおいさんである。二人に共通していたのは、屈託ない笑顔、幼い顔立ち、澄んだ声といった、男子が勝手に物語を投影したくなる要素だった。だが令和のいま、気付けば二人が歩むコースには大きな隔たりが生まれている。広末さんは交通事故を起こし、双極性感情障害を発表し休業中という危うい局面にある。一方の宮崎さんは、40歳を超えて4人の子の母となってなお、広瀬すずさんら若手女優と姉妹役でも違和感のない「透明感」を保ち、ドラマや雑誌の世界で静かに存在感を増している。この違いはいったいどこから生まれたのだろうか。

「事件化」した広末との違い 宮崎あおいの透明感は「壊れない設計」

 一つは、世間との接し方だろう。広末さんは「透明感」の押し付けにずっと抗ってきたように見える。写真週刊誌に撮られた「奇行」や、海外映画への出演、早稲田大学への入学、そして突然のできちゃった婚。エッセイでも活発さや読書家の顔を打ち出すなど、「従順で一人では何もできない女性」というイメージから必死で脱却しようともがいていたのではないか。

 しかし、国民的アイドルとして巨大な光を放つ中で、その一挙手一投足はすべて大きく「事件化」されてしまう。近年では瞬時にSNS上の議論の中心へ押し上げられることもしばしばだ。良し悪しではなく、「広末涼子」という存在が、社会の感情回路と密接につながり過ぎてしまった。

 そしてその対極にあるのが宮崎さんだ。広末さんと同様に、人気絶頂時の結婚、そして再婚や出産といった人生の転機がありながらも、それらは「ニュース」にはなっても「事件」として過熱しなかった。

 宮崎さんもまた「森ガール」というナチュラルで女性らしいファッションの象徴のように扱われていたものの、「世間のイメージとふだんの自分は違う」と公言していた点は広末さんと重なる。けれども広末さんほどに、行動で証明しようとはしない。不倫がうわさされた時もノーコメントを貫いたが、保身というより「家庭のことに専念するため」という印象が強かった。女優というより、ていねいな暮らしの延長に仕事があるかのようなイメージ戦略は今も健在であり、最近でも「電子レンジが家に無い」発言は大いに注目を集めている。

 ちなみにかつて週刊誌記者が、運転のうまい女優として宮崎さんの名を挙げていたことがある。取材車にもすぐ気付き、ポルシェを華麗に操って姿をくらましてしまうのだという。

 広末さんも運転好きだったといわれるが、外車を乗り回す習慣について語るのは、美人女優の「男前なワタシ」アピールの常套手段。けれども宮崎さん自身の口からは、外車のがの字も出てこないのである。

 あけすけ過ぎるほどに自分の意識やありたい女性像を詳らかにしようとする広末さんに対し、宮崎さんの思考や感情はほとんど見えてこない。二人を大きく分けたのは自意識の扱い方であり、それが世間との距離感と、そしてキャリアの安定性を左右したといえるのではないだろうか。

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