「頭と胴体が離れ離れに…」 北朝鮮の「公開処刑」最新事情 脱北者は「『ナルト』を見たことが脱北のきっかけ」

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SDカードを飲み込み……

 ほかにもこんなギリギリの修羅場を経験した。

「21年ごろ、ある友人の家を訪ねた時のことです。K-POPの新作が手に入ったというのでMP3プレーヤーを耳に当てて聞こうとしたその時、検閲部隊が踏み込んできた。私はとっさにプレーヤーからSDカードを抜きとり、それをのみ込んでしまったのです。あの時ばかりは肝を冷やしましたね」

 しかし百戦錬磨で裕福な暮らしを送っていたキム氏でも「いつ逆賊のレッテルを貼られるか分からない」という不安感が常に付きまとっていた。脱北のきっかけになったのは、前述の「青年教養保障法」だ。

「北朝鮮は厳しい身分社会で、私は労働者、妻は農場員でした。お互い身分を知らないまま引かれ合ったのですが、いざ結婚するとなると、私も農場員に身分が落ち収入も大きく下がってしまう。そのため、婚姻を申告しないまま同棲していたのです。ところが若者の服装や生活習慣まで取り締まる青年教養保障法では、そうした内縁関係はふらちだということで摘発されます。同棲していた期間と同じだけ刑務所に入らなくてはならず、3年間同棲していた私もいつ監獄送りになるか分からない状況でした」

 すでに鬼籍に入った父親がもともと脱北を企てていたこともあり、キム氏は居住移転の自由がない北朝鮮で、多額の賄賂も使いながら、内陸の地元から海沿いの町へ引っ越すなど、周到に計画を進めた。一家9名で脱北したキム氏は現在、韓国の物流倉庫に勤め、専業主婦の妻と子供を養いながら平穏に暮らしている。

 一方で22年5月に脱北したパク・ヨンチョル氏=仮名=(25)の場合、同様に生活が脅かされてはいたものの、キム氏とは大きく事情が異なる。処刑増加のもう一つの背景でもある、コロナ禍での厳格な防疫政策が脱北のきっかけなのだ。20年には中国との往来が完全に停止し、中朝貿易の額は約5億4000万ドル(約810億円)と前年に比べ81%も落ち込んでいた。深刻な食糧不足に陥った当時の暮らしぶりを、パク氏が証言する。

「漁師だった私は、コロナ禍前は月に100ドル稼いでいました。これは北朝鮮では悪くない部類に入ります。ところが防疫政策によって海に出ることや、隣の郡に行くことが禁じられ、収益が激減しました。その上中国からの輸入に頼っている食料や日用品の多くが、貿易が停止したことで価格が高騰したのです。食用油、調味料、乾電池などが4~5倍に値上がりしました」

 すぐに家計は苦しくなり、テレビなどの家電を売却して糊口をしのぐようになった。

「数カ月もたてば元に戻ると考えていましたが状態はまるで好転せず、とんでもないことになったと思いました。もともと素朴な生活を送っていた農場員以外はほとんどの人民が影響を受けており、食費を切り詰めるようにしていたのは私だけではありません。このままだとジリ貧だと考え、脱北を決意しました」

 とはいえ、その考えにたどり着くまでには少々時間を要した。

「脱北についての知識が不足していたのです。多くの人がスマホを持っていますが、できることといえばサッカーや銃撃戦を楽しむ簡単なゲームと、電話ぐらい。韓国から飛んでくるビラも、金正恩の私生活の暴露や聖書の言葉が書いてあるだけだったので、細かく読みませんでした」

「ナルト」「007」で海外の豊かさを知った

 そんな中、脱北を考えるヒントになったのは、パク氏が高校生の時から親しんでいた映画「007」や日本のアニメ「ナルト」のような海外のエンタメだった。

「作品のクオリティーが国産のものよりずっと高く、外国の方が豊かなのだと知れました。韓国の観光客を受け入れている地域や、北朝鮮の労働者を雇っている韓国企業が国内にあり、そこからも外国の景気の良さがうかがえた。そういったものを目にしていたので、生活にいよいよ行き詰まった時、韓国に行って稼ぐという発想が自然と生まれました」

 パク氏は一緒に暮らしていた両親と別れ、一人で脱北を敢行した。

「かなり体力を要するルートでしたし、年を取ってから新しい環境に適応するのは難しいですから、両親は置いていくという判断をしました。今はソウルの大学に通っています。できれば仕送りをしたいのですが、両親とは連絡を取ることもできていません」

 やりきれない表情でそう語るのだった。

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