50代になって改めて考える「パートナーを失う」ということ…まだ見ぬ“悲しみ”に思いを馳せるのは決して綺麗ごとではない

ライフ

  • ブックマーク

「孝行したい時に親はなし」という諺は、「サザエさん」を含め、昭和の漫画には時々セリフとして登場していたように記憶している。当時の平均寿命は現代より短かったため、親孝行のチャンスは少なく、後悔する人が多かったのかもしれない。

 しかし、私の感覚としては、親が亡くなるよりも、配偶者が亡くなることの方が、精神的にキツいのではないかと思う。親は自分で選んでいないうえに、自分よりも年上なので、先に亡くなるのは道理といえば道理なのだ。一方、配偶者は自分が選んだ相手であり、親よりも、一緒に生活する時間が長くなる場合が多いからだ。【取材・文=中川淳一郎】

失ってから知る大切なこと

 過去に酒を酌み交わしたことのある60代男性の妻が病気で亡くなったことを同氏のXで知ったのだが、これが本当に気の毒であるのに加え、彼の悲しみに溢れた投稿を見かける度に、自分自身も配偶者(妻)を徹底的に大切にしなければ、と思ったのである。

 同氏は妻の死後、彼女が結婚指輪を外して保管していたことを知ったという。一体どのような気持ちで外したのか? 自身の死期を悟ったのか、それとも全く別の考えで外していたのか――。永遠に答えの出ない謎について同氏は懊悩し、今では彼女の分も合わせ、2つの指輪をつけているそうだ。

 こういったエピソードを聞くだけで、彼の辛い心の内に触れたような感じがして、いたたまれない気持ちになってしまう。と同時に、現在配偶者がいる人は、後悔せぬようお互いに相手を労わって、仲良くし、尊敬の念を抱き合うべきだ、という思いに駆られる。まぁ、離婚を望んでいる人やモラハラ・DVを受けていたり、相手が不倫三昧だったりする人は別の感情があると思うが。

 私自身、同氏が悲しみを抱くのは当然だと思う。さらに彼が「彼女にあれをしてやっていればよかった」や「あの時なぜ声を荒らげてしまったのだ」などと後悔をするのも、致し方ないことだろうと察する。そして、同じ寝室で隣にスヤスヤ寝ている配偶者の姿を見るのがどんなに幸せなことだったのかを、失ってから知るのだろうな、などと思いを馳せる。

 なんでもないと思っていた日常、いや、時にウザいとさえ思っていた配偶者の行動や発言が、いかに貴重だったかを思い知らされるのが、配偶者に先立たれることでもたらされる最大の影響なのだろう。「亡くなって分かる、配偶者の重要性」ということを彼は日々感じているし、今、配偶者が元気な人もいずれはそのような日が来ることは避けられない。だったら相手が生きている間に何をすればいいのだろうか?

次ページ:配偶者が突然いなくなった時をシミュレーションすべき

前へ 1 2 次へ

[1/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。