「さみしいよぉ」と近隣住民に…「老人ホーム」入居を巡る80歳男性と家族の葛藤、89年師走の「鉄道踏切での悲劇」に至った契機とは

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第1回【「老人ホーム」入居直前…89年師走に“鉄道踏切での最期”を選択 80歳男性はなぜ「献身的な息子夫妻」に心を閉ざしたのか】を読む

 1989年の師走、老人ホームに入居予定だった80歳の男性が、東京郊外の踏切で自ら死を選んだ。「子供に冷たくされたのか」と想像する向きもあるだろうが、実際はそうわかりやすい話ではない。「週刊新潮」の取材で浮かび上がってきたのは、むしろ献身的だった子供たちの姿と、36年が経過した今でも決して珍しくはない、誰でも直面する可能性がある“事情”だった。現在も示唆に富む“80歳の死”を振り返る。

(全2回の第2回:以下、「週刊新潮」1989年12月21日号掲載記事を再編集しました。文中の年齢・肩書等は掲載当時のものです)

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やむを得ず決心した老人ホーム申請

 長男の妻は義父の面倒を見るのに疲れはてて、ノイローゼ気味だったという。

「いくら親身に世話を焼いても、おじいちゃんにはまるで通じず、自分が疲れるだけなのです。孫たちにとっても、家庭の雰囲気はよくなかった。それでやむを得ず、老人ホームに入ってもらおうと、ご子息は決心したんですよ」(市役所の関係者)

 伴侶を亡くした老人は、ときにこういう状態になってしまうそうだ。

「そんな事情を考え、判定委員会は老人ホームへの入所を認めることにしたのです。その後、何度かご家族から電話があり、“本人(Aさん)も同意したから、早く入所させてほしい”とおっしゃっていましたね。ホームの入所希望者は順番待ちですから、Aさんの番が回ってきたのはつい最近。いつでも入れる状態になったところで、ご本人が死を選んでしまったのです」

 単純に誰が悪い、と言えるような問題でないのは確かである。どこの家庭にも起こりかねない、とんでもない不幸、とでも言うべきところなのだろうか。親戚の1人によると、Aさんは「老人ホームに行くくらいなら死んだほうがましだ」と語ったことがあったという。それを誰も本気にしなかったところが悔やまれるかもしれない。老人ホームへ入るのを承知したり、抵抗したり、揺れ動いていたようだ。

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