「良いこと悪いこと」やっぱり“真犯人”はコイツだ そして“共犯”はアイツだ 替え歌と22年前の絵の意味とは
歌と絵の理由
替え歌と絵は不思議でならなかった。同級生6人を殺したいのなら、殺害しやすい人物から殺せばいい。仮に犯人がターボーでなく、同級生以外であろうが、そうする。わざわざ犯人側から制約を設けない。犯行が失敗する基になりかねないのだから。
絵もそう。ひんちゃんの場合、空を飛ぶ自分を絵にしたのでマンション上部から突き落とされた。実行犯にとってリスキーな殺し方だった。
まずマンション内に潜り込むから、人目に付きやすい。また、ひんちゃんの力が想像以上に強かったら、犯人側が突き落とされてしまう。
それでも犯人が歌に拘った第1の理由はターゲットの警戒心を緩ませるため。殺人が順番通りに進むと思い込ませられたら、犯人には有利になる。相手に警戒されたら、順番を変え、油断させて殺せばいい。自分の順番の際にはやらせを仕込みやすい。
歌は小6のときにターボーがつくったもので、わざわざキングらに思い出させた。第2回だった。自作の歌を犯行に利用したのである。
ターボーが絵にも拘っているのは、犯行動機が小6のときの恨みにあると思い込ませるためである。本当の動機は違うと見る。小6のとき以外の恨みか、金か。第3回で分かったが、ターボーは事業資金に困っている。
米国では書類上の手続きは煩雑なものの、他人を生命保険に加入させることが可能。保険申込書には契約者と被保険者の両方がサインする必要があるが、偽造すればいい。
第3回でどの子が「目的のためには手段を選ばず」と、評したターボーなら、何だってやるはず。さらにカンタローが焼き殺されたあとの第4回、どの子は犯人像について「手段を選ばない」と語っている。
この物語でこんな言われ方をされている人物はターボーだけなのだ。本人はまだ自覚していないが、どの子は犯人に辿り着いているのである。
第6回で死んだ元担任で校長だった大谷典代(赤間麻里子)はなぜ殺されたのか。大谷は絵などの入った卒業記念のタイムカプセルを掘り起こした犯行加担者。第5回にターボーに対し「もう、やめませんか」と言い、弱気になっていたから殺害された。警察に通報されかねなかった。
なぜ大谷が犯行加担者になったのかというと、どの子のいじめに対し、素知らぬ顔をしていたから。それをネタにターボーから脅された。大谷は同じ第5回、ターボーとの電話で「自分にウソを吐いて見て見ぬ振りをしてきました」と懺悔している。
いじめの民事上の時効は20年。どの子のいじめは22年前。時効が成立している。だが、大谷がいじめを見過ごした事実は消えない。いじめが露見したら、大谷の指導力欠落が問題化する。「なぜ校長にしたのか」と責任論にもなりかねない。定年を控えた大谷の名誉や退職金に関わる可能性が大きい。
大谷はおそらくシングルマザーだ。校長室にある家族写真には自分と娘、孫娘が写っていた。第7回の本人の葬儀も家族席はこの2人だけ。孫娘が号泣していた。大谷は自分が一家の大黒柱にならなくてはならないという意識が強かったのではないか。その分、教師としては保身に走ってしまった。
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