首都圏連続強盗事件の指示役26歳は「16歳の時に傷害事件で17歳少年を死なせていた」20歳で少年刑務所を出所 母親は「更生しようと真面目にやっていた」

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川越少年刑務所を20歳で出所

 この事件では地元警察にも批判が集まったという。

「2人がタイマンを張る中、パトカーが2度も通りがかり少年たちと会話までしていた。しかし少年たちはAさんへの暴行を隠し、『もう帰ります』と言って追い返した。警官はパトカーから降りて少年たちの様子を確かめようともしなかったのです」(同)

 結局、福地容疑者を含めて5人が逮捕され、少年審判で2人が少年院送致。福地容疑者と2人の先輩は検察官送致(逆送)となり、水戸地裁で裁判員裁判にかけられた。リーダー格の少年は懲役4〜6年、福地容疑者ともう一人の少年には懲役3〜5年の不定期刑が下された。

 その後、福地容疑者は川越少年刑務所に入ったという。

「20歳くらいで出てきて、しばらく実家で暮らしていたとは聞いていましたが、その後の動向は全く知りません。風の噂で東京に行ったと聞いていました」(同)

 当時、地元メディアはこの事件を大きく扱ったが、少年事件だったため加害者側を匿名で報道した。当時の新聞記事を調べると、福地容疑者は裁判で「後悔してもしきれない。一生償っていこうと思う」と反省の弁を述べていたと書かれていた。しかし、刑務所を出所して5、6年後には、東京で悪い連中とつるんで凶悪な強盗や特殊詐欺を繰り返していたのだ。

Aさんの母親は「今も思い出す度に苛立ちます」

 この話を聞いてAさんの遺族はどう思うか。11月末、自宅にいたAさんの母親に、福地容疑者が首都圏連続強盗事件の被疑者として名前が上がっていると告げると、ショックを受けた様子だった。

「福地たちのことは今でも憎いです。何年経っても息子は戻ってこない。やられたことを忘れることはないし、今も思い出す度に苛立ちます。ましてや、更生せずにその後もそういう悪事を重ねていたと聞くと尚更です…。福地とうちの子は学年も違うし元々知らない子。事件後は会っていません。顔を見るのも嫌だったので」(Aさんの母親)

 福地容疑者の実家の近隣住民に福地容疑者について聞くと「いい子だったんですが…」と語った。

「中学校時代は剣道部で主将も務めていたし、道で会うと向こうから元気よく声をかけてくるような子でした。中学を出た後バイクに乗りはじめましたが、ここらあたりは交通の便が悪いからそこまで珍しい話ではない。傷害致死事件を起こしておかしくなってしまったんだと思います」(近隣住民)

 実家を訪ねると母親が玄関口に出た。連続強盗事件について話を向けると「全く連絡がなく、事件の詳細を知らないのでなんとも言えません」と答えた。

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