「“戦車”のような夫のそばを自転車で並走した」──小説家おしどり夫婦、吉村昭と津村節子の軌跡

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「文壇のおしどり夫婦」として知られる故・吉村昭氏と津村節子氏。2025年秋の叙勲で津村氏の旭日中綬章受章により、芸術選奨文部大臣賞、日本芸術院賞、菊池寛賞に続き、夫婦で同じ受賞(章)四つ目、という快挙となった。

 その輝かしい受賞(章)の背景には、夫婦でありながらライバルでもあった二人の長い軌跡がある。下積み時代、生活のために出かけた行商先・根室の海岸で、「ここで死にましょうか」と吉村氏につぶやいたという津村氏。それほどの苦難を乗り越えながら、夫妻そろって大作家に上り詰める。

 時に競い合い、時に支え合いながら走り続けた二人。津村が語った「戦車で走る夫のそばを必死で自転車を漕いで走ってきた」という比喩は、その関係を象徴している。

 夫婦の軌跡をたどった『吉村昭と津村節子 波瀾万丈おしどり夫婦』(谷口桂子・著)より、小説家夫婦であり続けたそれぞれの胸の内を紹介する。

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「チクシヨウ、ヨカッタナ」

 二人は同志であると同時にライバルとみなされていた。

 津村の『重い歳月』の中で、妻が初めて直木賞候補になったとき、「チクシヨウ、ヨカツタナ」という電報が夫から届く場面がある。悔しがる気持ちと同時に、同志として共有する喜び。夫の中の相反する感情がよくあらわれている。

 しかしながら『重い歳月』は津村の小説であって、同じ時期を描いた吉村の文学的自伝『私の文学漂流』にそのような箇所はない。他の随筆でも、妻に対する競争心のような記述は見かけない。

 夫婦で小説を書くのは地獄だな、と言われることに対しても、

〈でも、地獄の中にいるとね、順応性ができちゃってわかんなくなっちゃうんですよ。戦争中も食料不足その他で、まさに地獄だったけど、なんとなくすごした。戦争中と同じですよね(笑)。〉(「ノーサイド」平成4年12月号)

 と余裕の発言をしている。

 一方の津村も同じ心境だったかと言うと、そうではなかった。多分に吉村の影響を受けていた。

〈女房ですから、向こうが不調だと心配になるけど、あまり好調だと、今度は自分のほうの自信がなくなってくるんです。やっぱり焦るんですよ。

 毎日そばにいる人の好調、不調がわかり、それが直接響いてくる。向こうは歯牙にもかけていないけど、こちらは自分の仕事が停滞していれば焦ったり落ち込んだり……。そういう精神衛生上よくない状況をずっと引きずってきました。〉(「婦人公論」平成12年6月7日号)

 津村は丹羽文雄夫妻を例にし、夫だけが作家なら妻はあらゆる手を尽くして仕事を支えることができる。ところが夫婦同業で、夫もスランプ、妻もスランプとなると、わが身が大事で夫のことを気にかける余裕はなくなってしまうという。

『戦艦武蔵』で不動の地位を確立した夫のそばで

『戦艦武蔵』以降、吉村は精力的に書き始めた。

 1年に8冊の新刊を出した年もあった。妻として夫の活躍を喜ぶ一方で、葛藤の時期がなかったわけではない。1985年(昭和60年)に吉村が『冷い夏、熱い夏』で毎日芸術賞、『破獄』で読売文学賞と芸術選奨文部大臣賞を立て続けに受賞したときは、津村と親しかった先輩作家の芝木好子が「一つぐらい津村さんに分けて下さったっていいのにねえ」と言ったという。

 妻と夫としては、夫を立てる良妻賢母かも知れない。だが、こと小説となるとそうはいかなかった。なにしろ津村が内に秘める負けん気は想像を超えるものがある。

 その気性は母親譲りのようだった。

〈母の気性を受け継いで私も勝ち気であったのか、習字に通っている友達の字が教室に貼り出されると、私も習字に行きたいとせがみ、珠算塾に通っている友達が、珠算の時間にあざやかな腕前を見せると、それが羨ましくて珠算塾に通った。〉(『風花の街から』毎日新聞社)

 吉村に対する競争心は、学生時代に吉村の『死体』を読んだときに芽生えた。同人雑誌時代から、吉村の小説は抜きん出てうまかった。

 津村は90歳のときのインタビューで胸の内を語っている。

「吉村がいい作品書くと、わあ、こんないい作品書くなんて、まいったなと思うんです。負けちゃいられないと思うんですね。向こうは私のことなんか全然目じゃないんです。こっちはね、ライバルなんです。(略)吉村には負けたくないって、そういう感じでしたね」(福井県ふるさと文学館 「津村節子氏人生を語る~これまでの歩み、そして明日への思い~」)

「吉村には負けたくない」という負けん気は随筆には見られず、このとき初めて語った本心だ。津村には現状に満足していたら先はないという焦りが常にあったという。現状よりも上のところへ行きたい。飽くなき向上心はそこから生じているのだろう。

〈作品の数からすると、私は夫の足許にも及ばない。そのうえ、次々賞を受賞するし、しかも売れる(笑)。これはつらいものがあります。今はもうそういう時期を過ぎて、何もかもわかっていて弱みも恥もさらけ出せる夫婦同業でよかったという境地にまで至りましたし、量より質だとうそぶいていますけど。(笑)〉(「婦人公論」平成12年6月7日号)

 また、こうも述べる。

〈「私はねえ、あの人が戦車で走っていくそばを必死で自転車漕(こ)ぎながらずーっと走ってきたような気がしますね(笑)」〉(「MINE」平成2年11月25日号)

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