共働きの妻の帰宅を待ちながら「カップ麺」… “あなたが夕飯を作ってくれても”にキレる夫の遅すぎた後悔
【前後編の前編/後編を読む】要介護の義母を引き取り、言いなりで世話を続ける妻… “がんばり屋”だと思っていた彼女の恐ろしすぎる真実
家族のありようは年月とともに変わっていく。産まれた子も20年も経てば自立していくし、夫婦はそれだけ年齢を重ねる。ましてふたりの親たちも老いていく。変化に合わせて対応していくしかないのだが、それがうまくいかないこともままあるだろう。
宇佐見良輔さん(55歳・仮名=以下同)は、「今、妻とは離婚協議中」だという。原因は「介護」だとも話す。「妻は僕の浮気が原因だと言っているけど、それは違う」とつけ加えた。夫婦の関係はここ数年、悪化の一途をたどっていたそうだ。
【後編を読む】要介護の義母を引き取り、言いなりで世話を続ける妻… “がんばり屋”だと思っていた妻の恐ろしすぎる真実
熱愛ではなかったけれど
彼が結婚したのは28歳のときだ。当時としては早くも遅くもない結婚だった。
「なんとなく28歳くらいで結婚したいと思っていました。根拠はないんですけど、周りもそういう雰囲気だった。学生時代の友人たちも同じ年に3人くらい結婚していますから、みんなそのくらいの年齢で結婚するものだと思っていたんでしょう」
ただ、当時はバブル崩壊後、リストラの嵐が吹き荒れていた時代だった。入社時はバブル真っ盛りで給与も賞与も信じられないくらい高かったが、結婚するころは勤務先に吸収合併の噂があり、このまま会社にいられるかどうかの瀬戸際だった。
「そのころつきあっていたのが、学生時代からの友人だった優佳です。卒業後もグループで会っていたんですが、いつの間にか個人的に会うようになって。気心も知れているし、結婚を考えたとき彼女とならうまくいくだろうなと思いました」
熱愛というわけでもなかったし、個人的に会うようになっても気持ちは“友だち”感覚だった。ベッドをともにしても興奮より安心感が先だった。だが、結婚はそういうものだろうと彼は考えていた。28歳の青年としては妙に冷静である。
母は「結婚は友情と信頼が基本だよ」
「うちの母親は、僕が大学に入った年に離婚したんですが、よく言っていました。『恋愛と結婚は違うよ。結婚は友情と信頼が基本だよ』と。鋭いですよね。母は大恋愛、熱愛の末の結婚だったみたいです。なのにいつしか愛は冷めた。結婚は生活そのものなんだから、惚れたはれたよりともに手を携えて協力できる人としたほうがいいって。それがずっと頭にありました」
優佳さんとなら共同生活がうまくいきそうだと彼は思った。だが、どうして「結婚しなければいけない」と思い込んでいたのだろうと彼は言う。今の時代なら、結婚を選ばなかったかもしれない。ずっとつきあっているだけでもいいし、同棲するだけでもいい。結婚という制度に乗る必要があったのかどうか、そもそも何の疑いもなく、30歳近くで結婚するものだと信じていた自分が不思議でならないそうだ。
若いころはそう思い込んでいるものかもしれない。時代の空気も、結婚そのものを疑う気配はなかった。誰もが結婚を当たり前のものと受け止めていた。
「そうですねえ。親が離婚しているのに、その本人も僕も、結婚を疑ったことがなかった。年齢を経ればするもの。そう信じていた」
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