共働きの妻の帰宅を待ちながら「カップ麺」… “あなたが夕飯を作ってくれても”にキレる夫の遅すぎた後悔

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帰りが遅いのでカップラーメンを…

 結局、良輔さんはすんなりと結婚への道を踏み出したのだが、職場は大変だった。リストラが断行され、辞めるも地獄、残るも地獄と社員たちはひそひそ話す毎日、吸収合併の話もなかなか消えない。彼自身は残れることになったが、そんな中で結婚式を挙げる気にもなれなかった。

「結婚式に使うお金があるなら、むしろ新生活に使おうと話し合いました。家族も、僕は母親しかいないし、優佳もひとりっ子なので両親がいるだけ。とりあえず親同士を呼んで食事会をして、その場で婚姻届を書いて終わり。特に仲のいい友人たち20人ほどがパーティを開いてくれました」

 保育士の優佳さんは仕事を続けたから、ふたりの新生活は仕事中心となった。それでも良輔さんは優佳さんが夕食を作るのが当たり前だと思っていた。優佳さん自身もそう思っていたのだろう。遅く帰っても、そのままキッチンに立った。

「先に帰っても僕が作ることはなかった。あるとき、あまりに優佳が遅いのでカップラーメンを食べていたら、やっと帰ってきて。僕を見るなり『あなたが早く帰れるなら、あなたが作ってもいいんだけど』と言ったんです。男が料理するという発想が僕の中にはなかったから、『自分の義務を放棄するなよ』とキツく言ってしまった。妻が食事を作るのは当然、妻が家事をやるのは当然だと思い込んでいた。それが“結婚”だろうと」

価値観が「古かった」

 今の価値観からいえばかなり外れているが、当時はそれが主流だった。結婚しても仕事を続ける妻は、「夫に理解があるから、働かせてもらっている」と考えるのが一般的だったのだ。

 そのとき優佳さんは、彼を睨みつけたという。もともと友人関係なのだから、もっと言いたいことを言えばいいのに、それ以上は言えなかったのだろう。それもまた「結婚したら夫に逆らってはいけない」という当時の常識だったのかもしれない。

「古かったですね、価値観が。僕も優佳も、しっかりそれに染まっていた。同じように働いているのに、家のことは全部妻に任せていた。それ以上に、僕のほうの親戚の冠婚葬祭などのときも優佳に贈り物などをやってもらっていました。彼女、文句ひとつ言わなかったから、それでいいんだと思ってた」

 2年後に男の子が、その3年後に女の子が産まれた。産休と育休をとった優佳さんは、久しぶりにのんびりと過ごしているように見えたが、実際には幼い子をふたり抱えて、とんでもなく大変だったとあとから聞いた。

「産まれたばかりの子なんて寝ているのが仕事だし、上の子だって決して育てにくい子ではなかったはず。僕の母親がときどき来ては手伝っていたみたいだし、家庭には何の問題もないとずっと思っていました。妻の愚痴だって僕はちゃんと聞きましたし、子どものためにもこのまま仕事を辞めてもいいんじゃないかと言ったこともあります。僕の勤務先もだいぶ落ち着いて業績も上がっていたし、贅沢しなければ僕の給料だけでやっていけると思ったので」

 それがどれだけ妻を傷つけたか、当時の良輔さんはわかっていなかった。こういったことは、すべてあとから彼が妻に言われたことだ。

「僕としてはよかれと思って妻に接してきた。でもその多くが彼女を傷つけていた。だったらその場で言ってほしかったけど、妻は妻で、揉めたくないから言えなかったと。こういうすれ違いの積み重ねが、のちの悲劇を招いたんだと思います。今になるとよくわかる……」

 良輔さんの表情が曇っていった。

「うちは大きなもめごとも、子どもたちにひどく悩まされたこともなく、家庭はそれなりに円満。気づいたら子どもたちも大きくなっていた。だからこそ、最近の波瀾を受け止めきれない」

 ***

 カップラーメンの一件から露になった、良輔さん夫婦の“亀裂”。【記事後編】では彼の語る「波瀾」について詳しく紹介している。

亀山早苗(かめやま・さなえ)
フリーライター。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。

デイリー新潮編集部

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